テオブロマ

土屋 公二 氏
1980年、静岡で洋菓子職人としての修業をスタート。1982年渡仏。「ラ・メゾンドショコラ」「ダロワイヨ・パリ」他で腕を磨き1987年帰国。ミッシエル・ショーダン他国内有名菓子店のシェフを勤めて1999年3月「テオブロマ」を開店させる。


「1度は好きなことをやろう」
高校を出た後に就職したのはスーパーマーケットを経営する会社。入社まもなく腰を悪くしてしまい入院。その後、交通事故に遭うという、たび重なった不幸ともいえるできごとを経て土屋氏が心の底から思ったことだった。

「好きなこと」を考えたときに、土屋氏の頭に思い浮かんだのはお菓子作りである。
毎日キチンと食事を作ってくれる母親がいたにもかかわらず、小学校低学年の頃からフライパンを握って料理をする少年だった。コックを目指していた兄のお古のオーブンが家に入荷されると、今度はそれを使って、姉が学校で習ってきたお菓子作りを始めた。しかし、彼女はなぜかいつも「あと、よろしくね」と途中で投げ出し、せっせとその続きを作り、お菓子を完成させる役目を自らしょった土屋氏は、作りながら「面白いな」と思った。これが、今思うと「お菓子作り」の最初だったのかもしれないという。その後、お菓子にまつわる思い出でよく覚えているのは、バイト先のとなりがお菓子屋さんだったこと。いつもいい香りを漂わせていたという。
香りといえば、土屋氏は子供の頃から飛びぬけた嗅覚を持っていた。静岡と言う土地柄、よくお茶の匂いを嗅ぎ分けていたそうだ。

学習以前に持っていた素質、そしてきっかけ。
「1度は好きなことをやろう」と思ったことで開花し始めた才能だが、思うようにいかないこともあった。調理師学校も出ていないので、最初の職場では「粉持ってきて」「砂糖持ってきて」と言われても、数種類のそれらの中からどれを持っていっていいかわからなかったそうだ。もちろん、それから猛勉強。その後、お菓子屋への紹介状も無いままの渡仏、語学勉強をしながらの密度の濃い日々は、しっかり現在の土屋氏のベースを築いている。

業者から運ばれた色々な素材は、かたくなに拒むことなどなく、柔軟な姿勢で平等に試される。しかし、自分の舌で「いい」と思ったものでなければ決して使わない。基準は自分の舌である。

さて。土屋氏といえばチョコレートをイメージする人も多いのではと思う。
しかし、現在のところ、テオブロマに置いてあるチョコレートは想像ほど多くはない。そのあたりを伺ってみると、こだわりのあるもの故、自分の味を出すために、もう少し時間をかけて勉強したいとのこと。自分の鼻や舌を使って納得いく品種を選んで、新しい要素を入れつつ、伝統の味を継承した味の開発に現在挑戦中だそうだ。そして、いわゆる「伝統の味」以上にクラシックな味、昔を掘り返したようなものをチョコ作りの中でやっていきたいそうだ。こんな言葉を聞くと、今後の商品に多いに期待してしまうのは私だけではないはずである。

国内外の名店で修業し、たくさんの賞もとっている土屋氏であるが、「お店を出したということは、未来に向かっているということ。過去の経歴で生きようとは思わない」「業界で認められても、お客さんに喜んでもらえなければ意味がない」というきっぱりとした言葉を口にする。喫茶コーナーだって、食べ終わったからと決して追い出されたりはしない。のんびりお茶とお菓子を味わって本でも読んで頂ければ、と、とにかく消費者重視の姿勢である。まだまだ今後の期待ができる、嬉しいお店がまた一軒オープンし、パナデリアのファイルに加わったのだった。

取材日 1999年


土屋さんの秘密