ヴォルテール・ピープルズ

市倉 俊幸 氏

アパレルの仕事に就いていたんですが、それが引っ越して、あるパン屋の近くになった。僕はそのパン屋のことなんて知らなかったんだけれども、しょっちゅう買いに行っているうちに、その店に興味を持ったんです。

ちょうどその頃、30才だったのですが、アパレルの仕事に少し嫌気がさしていた頃でもありました。そこで、思い切って興味を持っていたそのパン屋、『ベッカライブロードハイム』の明石さんに聞いてみたんです。「修業させてください」と。明石さんは、他のパン屋で修業していた人はあまりおとりにならないようですが、僕のパンなど作ったこともない真っ白な状態がよかったのかもしれませんね。意外とすんなりOKを出してくれたのです。でも、驚くことに「2年待ち」とも言われました。2年も待てない僕は、とりあえずアパレルの会社を辞めちゃったんですよ。

明石さんに「会社を辞めてしまったが、店で働くまでの2年にやっておいたほうがいいことはあるか」と聞いてみました。すると、辞めてしまったと聞いてはほっておくこともできなかったのでしょう、結果的にすぐにお店で修業させてもらうことができたんです。4年間、働きました。

今、この店では自分ひとりで全てのパンを作っています。大変なこともありますが、全ての工程を自分で見られる楽しさというのがある。途中途中の工程を別々の人がやると、どこかでくるってしまったり、修正が難しいでしょう。それが、最初から見ているから気をつけることができるんです。

店の場所は、特別思い入れなどありません。通りかかったら空いていたから決めたという感じです。店の上も借りて、そこで生活しています。だから、4時15分に起きて4時半から仕事を始められます。お客様は、ドイツパンを買っていくドイツ人がとても多い。それから、80代の方なども多いです。「このパンが柔らかいですよ」って言っても、意外とみなさん、ハード系のパンを買ったりするんです。考えてみれば、昔のほうが小麦粉は美味しかったはずだから、お年寄りは美味しいパンを知っているんですよね。「昔の味がする」と言われると、とても嬉しい。食パンなども半斤で売るようにしているんですが、これを買っていかれるお客様も多いです。2日に1斤買ってもらうより、毎日半斤買っていって頂けると、これもまた僕にとってはとても嬉しいことです。

店のパンの種類は多くはありませんが、自分の好きなパンだけ作れるのが、自分で店を持ったいいところの一つだと思うので、あまり種類を増やす気はありません。この小さいお店で、1人でできる範囲で美味しいパンを作り続けたいと思っています。

取材日 2001年3月


市倉さんの秘密