ユリス 麻布十番
星野 秀介さん
<経歴>

横浜出身
製菓学校卒業後、ホテルを経て和光ルショワへ
その後パティスリー キハチでは江東区のセントラルキッチンの第1期生として経験を積み、02年11月「ユリス 麻布十番」をオープン。

   



レストランのシェフである従兄弟の多田とは、小さい頃から一緒に店を持つのが夢でした。そもそもお菓子の道に進んだのも、進路に悩んでいた高3年のとき、兄貴のような存在だった彼に「おまえは細かい性格だから菓子なんか向いてるんじゃないのか」と言われたからなんです。親は大反対でしたけど、「ふたりで店を持つ」という夢しかなかったですね。 製菓学校を卒業してホテルに入ったんですが、ここではサラリーマン感覚というか、あまり真剣じゃなかった。

和光ルショワへ入ったのは、パティスリーの武江シェフ、ショコラティエの川口シェフ、そしてシャルル・プルースト杯で優勝した実力派の堀江さんがいた頃です。厨房は経験したことのないようなすごい気迫で、初めの頃なんて下の子にスピードで負けていました。特に堀江さんの存在というのがすごく大きくて、毎日が講習会のようで。もうみんな最新の技術についていくのに必死でしたね。自分もそれまでの知識が全部ひっくり返されるようなことばかりで。その頃に自分の基礎が築かれたと思っています。

そして川口シェフにはチョコレートのことも、それ以外のことも本当にたくさんのことを学びました。あの頃はまだショコラティエって脚光も浴びてなくて、地味な存在だったんですよ。当時研究所のようだった雰囲気の厨房で教わったのは、ガナッシュもムースもビスキュイも、工程・材料は違ってもみな同じだということ。うまく説明できないけれど、根底にある基本は同じなんだっていうことです。

その後キハチへ入ったのは、ちょうどものすごい勢いで人気が出てきたころです。初めはガランとしていたセントラルキッチンにどんどん人が入り、しまいには200人まで増えたほどです。和光とは毛色の違うキハチが、どんなライン・人材・機材・素材なのか見たかったというのが入った動機だったんですが、ちょうど店が伸びていく渦中にいられたのは貴重な財産ですね。

キハチでは、ルショワで得られなかったものをたくさん得ました。手をかけるところと省くところのメリハリをつける、時間の配分のし方、人をどうやって動かすのか。どうやったら「売れる商品」を作れるのかというのがわかったんです。キハチのケーキってすごくシンプルなんですよ。ショーケースを見れば「このケーキはこういう味だな」って想像がつく。それでその通り、期待を裏切らない味なんです。五感にわかりやすく訴えてくるケーキということでしょうか。「なんだ、格好つけなくても売れるんだ」って思いましたね。ルショワでは海外の高い素材も使わせてくれたけれど、もしあのまま独立していたら金銭感覚がマヒしていたでしょうね。

だから自分の中ではルショワとキハチの両方が柱になっていて、この両方を経験した自分だからできるお菓子があるんじゃないかと思っているんです。あんまり究極の素材にこだわったり、海外のものを追いかけるようなことより、もっと当たり前のことをしたい。例えば自分達のまわりにごく普通にある素材を使ったり。僕はよくケーキに味醂を使うんですが、やっぱり日本のものをまず使いたいですね。それから外国のイメージのケーキなら、同じ国で統一するとか。もちろんそれを崩すおもしろみもありますが、それは自分だけで突っ走らずにスタッフの意見を聞きます。デセールに関してもメニューを決めずにいろんなものにトライして行きたいんですが、パティシエではない多田のアドバイスがすごく参考になっています。


麻布十番という土地は、はっきり言ってやりにくいです。すごく舌の肥えた方がたくさんいる街ですから。「あなた、和光にいたでしょ」って言われたこともあるんですよ。レストランが一緒にあってよかったとつくづく思いますね。六本木ヒルズができたり、メディアに取り上げられるようになってから若い人も増えました。でも敢えてターゲットは絞らないつもりなんです。それよりも自分のいいと思うものを作っていきたい。自分を信じて、そしてまわりを信じてやっていくしかないと思っています。


取材日2003年6月25日


ユリス麻布十番
東京都港区麻布十番2-11-5 アクシアフォレスタ麻布1F
03-5765-2333

星野さんの秘密