リリエンベルグを訪れるたび、『ああ、もう桃のパイの季節なのか、いよいよ暑くなるなぁ・・・』とか、『栗と黒豆のクグロフが出たから、おせちの準備をしなくちゃ・・・』などと、ふと季節の移ろいに思いを馳せてしまいます。
リリエンベルグのケーキが私たちに語りかけてくる言葉。それは、「自然そのままの、旬を迎えた瞬間のおいしさを食べる」という、もっともシンプルで、でもつい忘れてしまいがちな“幸せのルセット”。でも、それを実現するのは容易なことではありません。横溝春雄シェフの旬の素材へのこだわりと情熱があってこそ、こんなにもリリエンベルグのケーキになったフルーツ達はおいしそうな顔をしているのです。
6月のある日、アジサイの咲き誇るリリエンベルグに到着したパナデリア。日本各地で、ケーキに使う新鮮な素材を探し、生産者とも繋がりを持つ横溝さんに、季節の素材というテーマでお話を伺ってきました。






◆新鮮な素材のために

これから夏にかけて、ご自身で生産者を訪ねている素材というと、どんなものがあるのですか?

「5月下旬くらいから、北海道でルバーブが出るんです。普通、国産のルバーブは赤いものが少ないし、えぐみも強いのですが、リリエンベルグで契約している農場のものは、生でも食べられるほど。それから、ルバーブは、野菜の一種ですから、ほうれん草やアスパラのような他の野菜と同じように、“走り”のほうがおいしいんです。時期の早いもののほうが香りも甘味もあって、皮ごと使っても柔らかい。9月くらいになると、皮も固く、アクが強くなっていきますから、ルバーブを使うのは7〜8月までですね」

ダンボールに入った、北海道の農場から産地直送のルバーブを見せていただいた。鮮やかな紅色のグラデーションが美しいルバーブは、リンゴのようなフルーティーな香り。

無農薬・有機栽培のクリムソンルバーブ。生で齧ってみても、えぐみを感じない。

「ルバーブのタルト(¥368)」
初夏をまるごと食べるような素材のフレッシュさが魅力



「同じ農場から、ハスカップも頂いていますが、こういう生産者との直接のつながりは大切ですね。いくら鮮度のいいものでも、八百屋から買えば、市場を挟んでるから一週間くらいは既に経ってしまう。とはいえ、農家の前には農協という大きな存在があるので、なかなか農家から直接っていうのは難しいんです。そこで、ちょうど農協を引退して、自家消費で少しだけやっているようなところを紹介してもらったりしています」

お店で使う量だけ・・・といっても、リリエンベルクのような繁盛店では、発注数もある程度まとまりが必要になってきますよね。そうすると、店と農家の信頼関係というのが、重要なポイントだと思うのですが・・・。

「そうですね。無農薬、無肥料のレモンを、小田原から仕入れているんですが、20〜30ケースくらい送ってもらうと、宅急便代もばかになりません。そうしたら先方が、『高速代払ってくれたら、直接いきますよ』って。必ず、うちのケーキを食べ放題にしてあげるんですが、それが楽しみだって言ってくれて(笑)。レモンはアメリカのものも悪くはないんですが、やっぱり鮮度が違うんですね。今使っているものは、遠くで誰かがカットしているだけで、香りがパーッと広がって来るんです。レモンは、農家から送っていただいた時点でなるべく早くジューサーにかけて、フリーザーバックに入れて冷凍庫にいれます。そうするとフレッシュで、味もほとんど変わりません。リリエンベルグのケーキは冷凍ストックしないから、素材の鮮度がケーキのおいしさになるんです」




作り立てをそのまま並べるからこそ、素材の味が活きる。リリエンベルグのケーキのおいしさのヒミツが、少しずつわかってきたような気がします。でも、ちょっと心配なのは、材料の値段。国産で良い素材を手にいれようとすると、当然コストも高くなってしまうのではないでしょうか?

「ある雑誌で見つけた、石川県五郎島の金時芋があるんですが、一度取り寄せてみたら、非常においしい。・・・でも、これが結構高いんです。実際、お店では全部裏ごしして使うので、不ぞろいでもかまわないといったら、色々なサイズの芋が箱にビッシリ送られてくるようになりました。重量ではなく、一箱での計算だからかなりお得なんですね。そうすると、実は八百屋さんで買うより安いんですよ。だから、農家の方とは発注というよりも“売っていただく”という姿勢でお付き合いしています。年に2〜3回は、長期休暇の前に必ず直接ご挨拶にまわります。商品もコンフィにしたものやケーキなどを、『うちではこういう風に販売しています』っていう意味でお送りしているんですよ」







◆ほんとうの「季節感」とは

どこのケーキ屋にもかかせないのがイチゴのショートケーキですが、リリエンベルグでは、季節ごとにその素材を変えたショートケーキが登場しますね。どのような考え方で、ショートケーキを作っているのでしょうか?

「イチゴのショートケーキをやるのは12月から5月くらいまで。イチゴの季節が終わると、夕張メロン、そして桃に切り替えます。7月〜8月になるとピオーネが出て、それが終わりかけるとラ・フランスのショートケーキが出ます。どんなお店でも、季節感を大切にしたいと思っているとは思いますが、それでもイチゴのケーキが年中欠かせないっていう固定概念があるのでは、どうにもなりません。でも、うちの店では、季節が終わっても無理してイチゴにこだわるのではなくて、その季節に一番おいしい果物でショートケーキをやったらと。それが、自然と季節感につながるんだと思います。・・・でもやっぱり、イチゴの季節が終わると少し、寂しいですね(笑)」




厨房では、ちょうどイチゴのジャムを作っている最中で、まわりはイチゴの甘〜い香りに包まれていました。ジャムにする素材は、ケーキの素材と分けて使っているのでしょうか?

「ジャムでも生ケーキでも焼き菓子でも、基本的にはすべて同じ素材を使っています。そもそもフルーツが痛んでいるということはほとんど無くて、例えばイチゴでも、摘んで翌朝には届いていますから、たとえ1週間置いておいたとしても、カビが生えないほど新鮮なんです。これも、農家と直接契約していて、土壌菌が付かないように、土に触れないようにするなど、鮮度のために工夫してもらっています。一粒は高いけど、一粒残らず全部使えるので、無駄が無いんですよ。傷がついたフルーツをやむなくジャムにするのではなく、今この季節にジャムにしたらおいしいと思うフルーツだけを、ジャムにしているんです」



イチゴも、“季節限定”のおいしさだ





◆おいしさをそのままに

果物は、農産物なので年によって出来不出来があると思いますが、安定した味が手に入らないなど、ご苦労はありますか?

「やはり、コントロールできない部分はずいぶんありますね。国産のフルーツは特に難しいです。例えば、メロンなんかも、糖度があがらなくて、扱わなかった年もありますし。でも、国産のものにこだわっているというわけではないんです。たとえば、クルミは今まで安曇野のものを使っていましたが、高騰してしまって困っていたんです。いまは、同業の方に紹介してもらって、アメリカのクルミを使用しています。パイナップルは、国産よりも海外のほうがいいものが安定して手に入りますし、高くても安くても、味のいいものを第一に選んでいます」

また、素材の本来の味を引き出すために、フルーツを加工する際は何か工夫をしているのでしょうか?

「たとえば桃ですが、色止めのために国産のレモンのシロップに漬け込んでおきます。でもこれは色止めだけでなく、レモンに浸すことによって桃の味をより引き立たせるためでもあるんです。桃は、いくら我々が調理しても、その桃以上のおいしさを創ることはできないんですよ。それで、うちでは煮るのを一切やめて、生で使っているんです」


桃は山梨県産のものを使用

生の桃をそのまま齧ったような瑞々しさ。
「桃のパイ(¥525)」



栗など、皮を剥いたりアクをとったりと、加工に手間がかかるものはどうしているのですか?

「栗は、熊本に信頼できる方がいるのですが、収穫したら現地ですぐにパートさんたちに皮を剥いてもらって、阿蘇の天然水と氷に漬けてもらい、季節になると、それを冷蔵状態で毎日40kg送ってもらいます。剥いた状態で40kgだから、実際の量は80kg以上です。本当に大変なことですよね」

リリエンベルグのモンブランの裏には、そんな苦労が隠れていたとは!今度から、もっとありがたみを感じながら食べなくては・・・

「店についたら、到着したその日のうちにシロップ煮にして、殺菌した瓶に密閉します。瓶詰めにすれば2週間くらいはおいしさを保てますが、9月のうちは出てしまう分が多くて、毎日40kgきても全くストックにまわらないんです。缶詰を使ってしまえば、そんな苦労はありませんが、やはり味が全く違いますから。だから、うちでは栗も季節のものとして考えているんです」





取材を終えて、店の中庭を案内していただきました。瑞々しい大輪のあじさいが、実に健やかに枝葉を伸ばし、足元には小さな野花が可愛らしく咲いています。横溝さん自ら手作りしたという木彫りの熊も、ところどころに登場し、一瞬森の中に迷い込んだような錯覚さえ覚えるほど。思わず、大きな深呼吸をひとつ・・・。

従業員の方たち休憩場所でもある別棟のテラスにあがると、目の前に広がる屋根の上には、なんと花畑が!

「屋根の上を緑でいっぱいにするのが、長年の夢だったんです」

穏やかな口調で話す横溝さん。その後ろで元気に育った鉢植えのハーブも、たっぷり愛情を注がれ、にっこりと笑っているように感じました。





イチゴのショートケーキに、栗のモンブランなど、いまやケーキ屋にいけば「定番」としておいてあるのが当たり前だと思っていましたが、よくよく考えれば、れっきとした「旬」があり、食べ頃がある・・・。その一瞬のおいしさをつかまえ、最高の形でケーキに昇華させることが、横溝さんのやり方なのです。季節と向き合い、素材と向き合い、生産者と向き合う。それをたゆまず続けていくことの努力は計り知れません。それでも、横溝さんと、リリエンベルグで働くスタッフ、そしてショウケースに並ぶケーキの表情を見ていると、リリエンベルグでは“素材”と“人”とが実に自然に手をつないでいるような気がしてなりませんでした。




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