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昨年5月にリニューアルオープンした店内は、以前と変わらず木の温もりがやさしい。奥の事務所に伺うと、すでに明石さんの姿があった。

「どうぞ、どうぞ」

温かいカフェ・ラ・テにラスクが添えてある。外から来たばかりの寒い体に、温かさがじんわりと染みた。忙しい最中、無理にお願いした取材だっただけに、嬉しさが増す。


およそパンが好きな人で、ブロートハイム、そして明石克彦さんの存在を知らない人はいないのではないだろうか。滋味深いドイツパンの味わい、木のぬくもりを感じる店内、パンを通して会話ができる対面式のショーケース・・・。そのスタイルは、パンを愛する多くの人々に影響を与えてきた。
ブロートハイムの魅力の一つは、当然そのおいしさだろう。しかし、「ブロートハイム」という名前が持つ魅惑的な響きは、それだけでは説明できない。いったい何が、その魅力のカギを握っているのだろうか。


「僕はおいしいものがあると、昔から自分で作りたくなるタイプだったんですよ」

次男として誕生した明石さんには、兄と妹がいる。子供の頃から、祖父母が兄を、父母が妹を、という構図が自然とできていたという。

「例えばリンゴを食べるとき。兄の分は祖母が、妹の分は母がむいてくれる。僕は、どっちかがむき終わるのを待っていないと食べられないんです。だから、『自分で皮をむいて、一番先に口に入れるぞ!』と自然に思うんですよね。自分で生きていかなくちゃいけないんですよ(笑)」

そのポジティブな発想により、小さな頃から明石さんは兄妹の中で1人だけナイフが使えたそうだ。

「小さな頃、母が1人分ずつスパゲティを作ってくれたことがあったんです。僕は待っていられないから、自分でフライパンを出してきて母の隣で一緒になって作った。今もよく覚えていますよ」

それは母親にとって、微笑ましく頼もしいシーンだったに違いない。そして、おいしい物への興味は父親からの影響も強いという。

「父は普通のサラリーマン。でも食べることが好きで、フランスパンを買ってきたり、自分でそばやうどんを打ったり、ドーナツやカスタードクリームなんかも作ってくれました。父を真似て自分でもカスタードクリームを作ってみようとして、大失敗したこともありますよ。レシピなんてなかったから、『確か、牛乳と卵と砂糖を混ぜてたな。それに粉っぽいのも入ってたな・・・』という感じで」

とにかく、おいしいものが大好き。そして、自主性の強い少年だったようだ。



“パン職人になる”と決める前から、パン−特にフランスパン−が好きだったという明石さん。今でも、学生時代に食べたパンの味は超えられない、と言う。

「神田精養軒、それから不二家のフランスパンは父がいつも買って来てくれましたね。昔のホテルオークラのフランスパンもおいしかったな。僕がパン屋になる前ですが、サンジェルマンのエクセルブランが好きでね。今でも時々買うんですよ」

と懐かしそうに目を細める。

「基本は、青山で買うドンクのバゲットでしたね。親友が紀伊国屋の裏に住んでいたから、土曜日にはいつも買って食べていました。パン屋になってからは、紀伊国屋のイギリスパンが毎週月曜日の定番でしたね」

明石さんの人生を彩る思い出深いパンの名前が、次々に挙がる。

「フランスパンが好きで、ずっと作ってみたいと思っていました。それで、26歳の時に本格的にパン屋の道に入ろうと思ったんです」

好きなものは自分の手で作ってみたい、幼い頃から変わらない明石さんの想いがパンの世界へと導いた。


フランスパンがきっかけとなったパンの世界。ところが、明石さんは次第にドイツのパンに惹かれるようになっていった。

「基本的にパンは粉と水と塩からできるもの。それなのに、ドイツパンには深いコクと旨みがあってとてもおいしかったんです。作り方とライ麦粉が入るというちょっとした違いだけなのに、すごいと思いました。それから、ドイツの国民性が好きなんですよ。二十数年前ドイツに行った時のこと、道がわからなくて人に聞いたことがあったんです。そうしたら、おじいさんとおばあさんが手を引っ張って案内してくれたんですよ。しかも、着いてから自分とは目的地が逆方向だったことがわかって・・・。ドイツでは、こういう温かい温かい出会いが多いんですよね」

華美ではないが質実剛健、そして何よりも温かみがある。そんなドイツの国民性は、パンはもちろん、車や窯などの道具類にも通じている。じっくり手をかけてあげればそれに応えてくれる、その関係が好きだと言う。



「それからね、パンはまだ解明されてないことがあるでしょう。それが面白いんです」

と、いたずらっぽく微笑む明石さん。パンの発酵とおいしさのカギを握る「種」は、ちょっとした環境や温度の変化に左右されやすいデリケートなもの。まるで生き物のような扱いが要求される。そのため、寒い真冬の夜中に店まで見に行くことも多かったそうだ。

「今は玄関を出て階段を降りれば、すぐに店に酵母の様子を見に行くことが出来るようになりました。僕にとってはとても大切なことなんですよ」

見に行くのが大変だからなのではない、自分の目の届く場所にあることが大切なのだ。


「パンは生活に密着しているもの。日々食べるという意味では、ごはんとコンセプトはいっしょ、決して気取ったり、飾ったりするものではないんです。だから僕は、あえて便利な場所ではなく、地域の人が日々の食べ物ものとして買ってくれる場所でパン屋を続けたいと思っています」

パンの人気が高まり注目されるのは素晴らしいこと。でも、それはあくまでも日常の食べ物としてであって欲しい。そんな、切なる気持ちが伝わってくる。



20年間パン作り一筋に生きてきた明石さんに、パン屋の極意について伺ってみた。

「パン屋をやっていて嬉しいのは、仲間のパン職人の温かみ。だいたい、人が良すぎてだまされるのはパンの職人なんですよね(笑)。とにかく、パンを始めてから知り合った人はみんな温かい。パンを通じて得た何よりの喜びです」

パンのおいしさに惹かれて踏み込んだパンの世界。だが、明石さんがこの世界で出会ったものは、もっと大きなものだった。嬉しそうに仲間のことを話す明石さんを見ていると、「ブロートハイム」が皆に慕われ続けてきた理由が少しわかるような気がした。パンが本当の意味でのパンとして作られている、そこにも「ブロートハイム」の魅力はあるのだろう。だが、言葉では語り尽くせないパンへの想い、そして人に対する温かい気持ち、それこそが私たちを惹き付ける本当の魅力なのかもしれない。



取材を終える頃には、日が傾き外の空気はいっそう冷たさを増していた。
しかし、それに負けないくらい、私たちの心と体は芯まで温まっていた。