● 経歴
東京・調布の名店、「サロン・ド・テ・スリジェ」のシェフ・パティシエを長年務め、現在「ASTERISQUE」オープンに向け準備中。
2005年 ワールドショコラマスターズ日本代表、総合3位。2006/08年 WPTC日本代表ではキャンプテンを務める。


有名パティシエによる講習会は数あれど、ここまで準備に時間をかけた講習会も少ないのではないだろうか?
そもそも、この講習会の始まりは数ヶ月前にさかのぼる。
「実は、愛媛にとてもいい栗があるんです。中山栗といって、大きさも、味も質も非常に優れている。一度、見に行きませんか?」
熊本や丹波など有名な栗の産地は色々あるが、意外に知られていないのが愛媛県産。いい栗といわれても確かにちょっとピンとこない。だったら一度自分の目で確かめてみようということで、まだ冬の風が冷たい3月、愛媛県へと向かうことになった。

愛媛県の栗栽培の発祥地である伊予市中山町は、山々に囲まれ、見渡す限り緑が広がるのんびりとしたところ。温暖な気候に恵まれたこの場所は、栗のほか柑橘類の栽培でも有名だ。
栗畑を訪れて驚いたのは、その栽培方法だった。5〜600mほどの山の斜面に木々が植えられているおかげで、どの木も太陽の恵みを余すところなく受け止めている。味に不可欠な寒暖差があり、さらに水はけもいいという利点もある。さらに収穫の方法もユニークだ。人が歩くのが困難なほどの急な傾斜をいかし、落ちたイガグリを山の下に転がして用意しておいた網で収穫する。こうすることで、虫もつかないということだった。

傾斜をいかして作られた栗畑。転がり落ちそうな
急勾配になっている(写真は5月のもの)


栗もおいしければ、加工技術も素晴らしい。地元の米田青果で加工されたペーストは、とれたての栗の風味がそのまま閉じ込められていて、香りも味も力強い。これまで主に和菓子用素材として流通していたそうだが、こんなおいしい素材があったとはとパナデリアも想いを新たにした。


枝から落ちた瞬間に劣化が始まるという栗は、早朝に収穫したものをすぐに冷凍。こうすることででんぷん質の劣化が防げ、1年を通じて風味豊かな栗が味わえる

講習会で使わせていただくことになった米田青果の製品。栗の甘露煮、ペーストのほか、愛媛県の特産であるネーブルも


中山栗のおいしさを、もっと洋菓子に広めたい。そんな関係者の強い想いから企画されたのが今回の講習会。もちろん講師は、愛媛県を代表するパティシエ、和泉光一さんだ。
さっそく、中山栗を食べてもらうと・・・。
「非常においしいですね!栗がおいしいと子供の頃から知っていたのですが、こんなおいしい素材があるとは知りませんでした。実は、今まで実家に帰っても、地元の素材の魅力や良さにあまり注意を向けなかったんです。麦を刈った後の畑でサッカーをしたり、家の裏がみかん畑だったりしていたのに・・・。ぜひ、これで色々作ってみたいと思います」

栗の花が咲く5月には和泉さんも栗畑を視察。地元だからこそ気付かなかった栗の魅力を再確認した


そして、数ヵ月後の9月7日。(株)明治主催のもと企画された講習会には、開始時間の1時間以上前から、少しでも前で和泉さんの技を見ようという参加者が集まり始めた。実は、キャパシティいっぱいの約140人でも収まり切らず、30名以上ものキャンセル待ちも出たほどの人気ぶりだったそうだ。

「ASTERISQUE」のオープンを控え、現在は国内外を文字通り飛び回っている和泉光一さん。素材、製法・・・すべてを追求しないではいられない研究家肌のパティシエとしても有名!


さて、和泉さんに今回教えていただくのは栗を使った4つのアイテム。和泉さんが今後力を入れていきたいという、フレッシュ感のある生菓子感覚の焼菓子を中心としたラインナップだ。
・ケイク マロン ショコラ
・タルト オランジェ ノワゼット
・モンブラン クレメ
・和栗のベニエ

「栗は好きな素材のひとつです。ただ、みんなが使う素材なので、僕の場合はひとひねりして栗の奥にある味をいかせたらと考えています」
ご存知のとおり、和泉さんのお菓子は"ひねり"がある。素材にこだわり、さらに“ひねり”で唯一無二のオリジナリティを出す。それこそが、和泉さんの人気の秘密だろう。

細野商事さんにご協力いただき10種類以上の中から奥久慈卵を選択。愛媛県産の地粉(川久保製粉)など、栗以外の素材選びにも時間をかけた


まずは<ケイク マロン ショコラ>から。
「ケイクは元々ガトー・ド・ボワイヤージュ(旅のお菓子)なので、日持ちするような作りこみにしています。修業先の影響でエージレスは入れたくないと思っているので。それから、機械に頼らず、なるべく手仕込みで作るようにしています」
ケイクは、パータケイク(生地)とガルニチュールからなる手間のかかった構成。卵の黄身が多いパータケイクにはマロンペーストをたっぷり加え、さらに、高価な栗のはちみつを贅沢に加えて香りをプラスする。
「ここで使うのは米田青果の“108クイーンマロン”。ヴァニラの香りがない“サバトン”のようなイメージで、ヨーロッパ系のおいしさ。味が濃く、香りも強いです。皆さんも食べてみてください」
ペーストを試食してみると、確かに栗の香りと風味が濃厚。この力強さなら、生地に入れてもしっかり風味が残りそうです。
「作るときに気をつけてほしいのが生地温。卵と砂糖は35℃に、溶かしバターは40℃に温め、最終的に32℃くらいになるようにします」
生地をしっかり乳化させ、おいしい食感を生み出すためのポイントとなるのがこの温度。とてもなめらかな生地に仕上った。

レーザーの温度計で温度をチェックしながら作業を
進める。基本的な事ながら大切なポイント

しっかりと乳化した、なめらかでツヤのある生地が完成!


そして、中に入れる“ガルニチュールマロン”。強めに炊いたキャラメルと“ジヴァララクテ(ヴァローナ)”、カカオ感の強い“ショコラノワール(明治)”に、“渋皮マロン(米田青果)”を合わせておく。

これだけでもおいしそうな“ガルニチュールマロン”。キャラメルを加えることでほろ苦さが加わり、キレのある印象になる


「中に入れるガルニチュールですが、僕はケイク生地を作る直前に作るようにしています。保存の効くコンフィチュールを入れて作ることもありますが、やはり一番いい状態を生地に閉じ込めたいと思っているのでちょっと手間でも直前に作るんですよ」
素材をそのまま使うのではなく、必ずひと手間かけるのも和泉流。何度か登場する栗の甘露煮も、ラム酒とバニラを加えたシロップで炊き直したものを使用する。江戸前にも通じる職人の粋、それが菓子職人としての和泉さんのポリシーなのだ。

ケイクの4面が同じ色になるように
焼き上げるのが和泉さんのこだわり

シロップはマロンリキュール(ドーバー)を加えたもの。どぶ漬けではなく、レードルで回しかけるのが、安定的なアイテム作りのポイント


続いては、同じく愛媛県の特産ネーブルを使った<タルト オランジェ ノワゼット>。定番のアイテム、タルトだが、実はここにも和泉流の技がいくつも隠されていた。
「まずは、冷やしたバター(明治発酵)、薄力粉(昭和産業Cブラン)、フルールドセル、ビートグラニュー糖をサブラージュ(砂状のサラサラした状態にすること)し、そのまま冷凍庫に30分入れてしまいます」
ひとつ目のポイントがこの"冷凍"。サブラージュの際、素材を冷やすというのはよく耳にするが、サブラージュ後に冷凍するというのは珍しい。
「この状態で冷凍すると、生地の縮みを防ぐことができるんです」
さらに驚いたのはこの後。冷凍したものに牛乳と卵黄を加えて合わせても、まったくベタつかないのだ。水分が多い生地にも関わらず、すぐに伸ばせそうなほどまとまりの良い生地が出来上がった。

昭和産業の“シーブラン”。グルテンが出にくく、
ホロホロとした食感を生み出す新製品


「それから、フォンサージュの際にもポイントがあります。生地を型に敷き込んだら、まず冷蔵庫へ。生地を休ませた後ではみ出した生地をカットすると、縮みの心配がありません。そして、その際にはナイフではなく、カードで落とします。ナイフだと危ないし、鉄粉が入ってしまうこともあるんです」
簡単なことだが、こうすることで完成度と安全性がぐっと増す。

ほとんど手につかない、扱いやすそうなパートブリゼ生地。
2mmほどの厚さに伸ばす


なるほど、と感心していたら、さらに常識をくつがえす驚きのアイデアが!
「タルトストーンは危ないので使いません。使うのは小豆。これをダイヤラップに包んで、タルトの中へ入れます」
ラップをしたまま焼成!?大丈夫なのだろうか?
「ダイヤラップは大丈夫なんです。どんな形にも対応するし、取り出すのも簡単。3-4回は繰り返し使える優れものです。実はこれはコンクールの際に編み出した技。いかに早く、安全に、良い状態で作れるかを考えて生まれた方法なんです」
半信半疑で空焼きを終えた生地に目を向ける。ラップの上をつまんで取り出すと、熱でラップの綴じ目が接着し、ジャストサイズの重石になっていた。こぼれる心配もなく、ラップを取り替えれば翌日以降でも使用可能という優れものだ。

ラップを敷き、中に小豆を入れて包むむだけでOK。まさに目からウロコのアイデア!


空焼きしたタルトの中に入れるのは、洋酒“トリプルセック”で香り付けし、プラリネペーストでコクを深めたクレームダマンドノワゼット。上にネーブルの缶詰(米田青果)を細かくしたものを乗せて焼成する。
「お酒はいわば“接続詞”なんです。お酒の味を出すためではなく、素材と素材をつなぐ役割として使う。ほんの少し入れるだけで、トップの香りや味の奥行きが生まれ、素材の風味を引き出すこともできます。最近はお酒を使いたくないという人が多いですが、ぜひ“接続詞”として使ってほしいですね」
15〜20分ほど焼成したら、ネーブルのスライス(米田青果)とシュトロイゼルを乗せて3度目の焼成。トータル1時間弱の焼成で乾燥しないように、クレームダマンドノワゼットの配合にも工夫がされている。

ネーブルのスライスがジャストサイズ。シュトロイゼルは
横に盛るようなイメージでふんわりと


さて、次は今日のメインともいえる〈モンブラン クレメ〉。
「今日作るのは、和栗を使ったちょっと面白いモンブラン。実は以前、マロンクリームの下にショコラが入ったケーキを食べて衝撃を受けたことがあるんです。今回はそのイメージで作ろうと思います」
定番といえ、“ひとひねり”しないではいられないのが和泉さん。どんなモンブランができるのか楽しみだ。



メインのマロンクリームに使うのは、和栗のテイストをいかした“和栗ペースト(愛媛中山栗マロンペースト・米田青果)”。試食してみると、ホクホクッとした和栗特有のおいしさがあり、香りや旨みも濃厚。これだけでも充分おいしい。
「栗はとても人気ですが、実は日本と外国では栗に対する意識の差がとても大きいんです。例えば、クープ・デュ・モンドのような大会では、和栗の良さをいかすほどダメ。日本人がおいしいと思う栗の味との差が大きくて、なかなか評価されないんです」
こんなにおいしい和栗が理解されないとは・・・。その一方で、日本では和栗のおいしさをいかした洋菓子が増え、定番のモンブランに加え、季節物の和栗アイテムを並べる店も多い。ただ、確かに洋栗に比べ、ぼんやりとした印象になりやすいのも事実だ。

ヴァニラとラム酒で香り付けした栗の甘露煮。ちょっとしたひと手間だが、缶のままとはかなり違った洗練された印象になる


「和栗をいかす際のひとつのポイントとなるのが、塩。ごく微量ですが、入れると風味が引き立ち、味が締まります。ちょっと料理人的な感覚で入れてください」
料理と違い、こうしたさじ加減は意外に難しい。
「ところで、皆さん味見はしていますか?お菓子の場合はレシピが決まっているので味見をしない人が多いのですが、季節や収穫年によって素材の味は日々変わります。パティシエというのは、いわば農業の頂点にいるようなもの。そういう自覚を持って、最後の味は自分で決める。自分が使うものを体感するのは、とても大切なことだと思います」
レシピだけの情報だったら、いくらでも手に入る現代。だからこそ自分の舌や技術、勘が大切になる。コンクールや大手企業の企画開発など、様々なジャンルで活躍してきた和泉さんだけに含蓄のある言葉だ。

和泉さんの講習会セット。道具一式が
旅行用のキャリーバッグいっぱいに入っている


続いて土台の部分。
「生地は"ビスキュイアマンド"です。といっても、ジョコンドとビスキュイアマンドの間のようなちょっと不思議な食感なんですよ」
アーモンドプードルを加えたジョコンドのような生地は、しっとりしているのに軽いのが特徴。天板にごく薄く伸ばし、アーモンドアッシェを散らして短時間で焼き上げる。

表面に粒々と見えるのがアーモンド。
これをカットしてセルクルに敷き込む


そして、栗に奥行きを与えるショコラの部分。プラリネを少量入れてコクを強めた“クレームショコラオレ”を作る。
「アングレーズを作り、“ジヴァララクテ(ヴァローナ)”とプラリネアマンドを合わせ乳化させます。このときのポイントは、最終温度を35℃に持ってくること。ちょうどショコラの結晶が安定するので、ここで7分に泡立てた生クリームと合わせます」
ここでも温度がポイントに。それぞれの温度をレーザーの温度計で測りながら、慎重かつ手早く作業を進めていく。

飾り用のショコラ。薄〜く伸ばしたチョコレートを刃の薄いソーモンナイフで削りつつ、丸めていく。手元の動きは見えないほどの速さ!繊細で美しいまさに職人芸


さらに、モンタージュにも“ひとひねり”。7cmのセルクルにビスキュイアマンドを丁寧に敷き込み、ムースと栗の甘露煮を入れ、最後にビスキュイアマンドでフタをする。
「中に栗を入れるのは、味や食感のためだけではなく、柱の役割もあります。ショーケースに並べたときに中央が沈んでいると、どうしても時間が経過した印象になってしまいますから」
マスカルポーネチーズを加えた“シャンティーマスカルポーネ”、マロンクリームを絞り、栗の甘露煮を乗せ、クラムとチョコレートを添えて完成。

断面にはこんなふうに栗の甘露煮が見える

試食用の〈モンブランクレメ〉


最後は、〈和栗のベニエ〉。ベニエと聞くと揚げ菓子を想像するが、それとは別のフランスの伝統菓子だそうだ。
「パートダマンドと和栗ペーストをたっぷり使った、焼きモンブランのような焼菓子です。和栗ペースト(108クイーンマロン)を使用しますが、これだけだと生地がパサツキがちなので、パートダマンドとナパージュブロンを加えます。適度な粘性も出るので、ナパージュはよく使う技。ペクチンでも代用できますよ」
カップに生地を入れ、上に渋皮付き栗の甘露煮を乗せて焼き上げる。

スライスした甘露煮を乗せ、最後に粉糖をふりかけて焼成する



今回作ったケーキ




ケイク マロン
ショコラ
愛媛県の素材、“栗”と“小麦”のアンサンブル。栗だけでなく、キャラメル、チョコレートを組合せることにより、深く複雑な味わいに。アクセントになっているのは、栗のハチミツの力強い香りと、チョコレートの固い食感。本来はうどん用の愛媛県産地粉を使ったため、配合は通常よりもやや油脂を多めにアレンジ。しっとりムチッとした独特の食感が楽しめる。


タルト オランジェ ノワゼット



冷凍の技を使ったタルト生地は驚くほど軽くサクッとした食感。一方、間のクリームダマンドノワゼットはしっとりふんわりジューシーで、食感のコントラストも気持いい。ノワゼットの甘いコクとネーブルのやわらかな香りが豊かに広がる。


モンブラン クレメ
栗特有のほっくりとした香りに、ミルクチョコレートのまったりとしたコクが好相性。和栗だけでは感じられなかった奥行きが生まれ、ひねりのあるおいしさに。トップの栗の甘露煮からはヴァニラとラムがフワッと香り、全体をエレガントな印象にまとめ上げている。


和栗のベニエ
あえてフワフワにしないという生地は、しっとりとして重量感のあるもの。ほっくりとした和栗の風味にパートダマンドが加わることで力強い風味が生まれ、小さいながらもインパクトは充分。まさに焼きモンブランという印象のリッチな味わいが楽しめる。



栗本来のおいしさをいかしつつ、楽しみのバリエーションを広げてくれた今回の講習会。随所にアイデアと知識が織り込まれた、ひとひねりもふたひねりもある内容となった。
「よく、“どんなときにケーキのアイデアが思い浮かぶのか”と聞かれるんです。僕の場合は、とにかく考えることがクセになっているんですよね。コンクールの影響もあると思いますが、おいしさ、アイデア、仕事の効率やスピード・・・そういったことを、どうしたら今より良くできるのか。常にイメージし、考えるようにしています」
これまで数々の栄誉をほしいままにしてきた和泉さん。だが和泉さんの、ケーキ、そして、仕事に対する姿勢は変わらない。常に正面を向き、上を目指す・・・。それこそが、こんなにも多くの人を惹きつけるのだろう。

熱心に耳を傾ける参加者の皆さん。強さと、ひたむきさを秘めた和泉さんは若きパティシエたちの憧れ!


新店舗では、これらのお菓子も並ぶ予定。チョコレート細工から素朴な伝統菓子まで、あらゆるお菓子に精通している和泉さんだが、新店舗ではどんなお菓子を並べる予定なのだろうか。
「今まで色々とやってきた中で、ずいぶん考え方も変わってきました。今は、デコレーションもそぎ落とす方向に。色はつけず、あくまで自然の形をいかそうと考えるようになりました。たぶん次のお店では、ショーケースにカラフルなチョコレートが並ぶことはないかもしれませんね」
実はパン屋さんの雰囲気が好きだという和泉さん。お客様との距離の近さや、アナログ的な要素に魅力を感じるそうだ。
「気になっているのは、お菓子の持つ色気のようなもの。例えば、華美に包装するよりも、焼いたままの方が色気を感じたりする。それに、包装にお金をかけて、食材の費用を削る・・・というのはとても悲しいことですよね」
"ひとひねり"しつつも、素材のおいしさを大切にしたシンプルなお菓子を作りたいという和泉さん。今後の活躍がますます楽しみだ。
(2011.10)

和泉さんとスタッフの皆さん。どうもありがとうございました!





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