昨年から定期的に開催されているパナデリア主催「香りの会」は、香りの専門家である「香料デザインラボ」主宰・調香師の村井千尋さんによる香りについてのレクチャーと「ハイアット リージェンシー 東京」のペストリー・ベーカー料理長・佐藤浩一氏による香りのスイーツコースを楽しむ会。その三回目を5月20日、同ホテルのオールデイダイニング「カフェ」にて開催しました。

今回のテーマは「スモーキーフレーバー」。スモーキーと聞くと、真っ先に連想するのがソーセージやサーモンの燻煙保存加工品、もしくは最近流行りのスモークソルトなど、素材に香りを後付けするフレーバーのことだと考えがち。当然お菓子にはあまり縁がない世界だと思っていませんか? ところが素材そのものが持つ香りの中にもスモーキーフレーバーは存在するのです。つまり、お菓子に使う素材にも‘スモーキーが居る’ということ。それを再発見するのが会のミッションです。

燻さないのに燻したような香りがあるってどういうこと? 

頭が混乱気味の参加者たち。村井調香師の解説を聞きながら、香りのサンプルを嗅ぎ、実際にスイーツに仕立てられたその香りをひとつずつ探っていく、謎解きのような会となりました。

さて、その前に・・・
実は、今回のテーマ、パナデリアからの投げかけの真意が今ひとつ難解ということで、会に先立ち、佐藤料理長、仲村シェフ、調香師の村井さんなど総勢7名で、イメージを固めるために、事前に勉強会ならぬ、勉強ツアーをすることに。前回のテーマ「ローズ」の時にも、事前に平塚のバラ園を訪ねた一行としては、これも香りの会の恒例の行事となりました。
スイーツ素材でスモーキーフレーバーが一番わかりやすいのがチョコレート。
今回は佐藤料理長のお得意分野でもあるチョコレートを使ったスイーツコースをお願いしていることもあり、もちろん、勉強ツアーの行先は、チョコレート生産の現場です。目的地は山梨県の清里にあるBean to Barの「アルチザン パレ ド オール」。カカオ豆の焙煎から粉砕、コンチングまでを三枝俊介シェフに時間を取っていただき見せていただきました。作業室に立ち込めるローストの熱気とカカオ豆のちょっと酸っぱい発酵の匂い、そして出来立てのチョコレートを舐めた瞬間の複雑な味覚のインパクト。いました、スモーキーフレーバーが。カカオをローストする際につくロースト臭とは違い、この時に感じたスモーキーフレーバーとは、カカオ豆自体がもともと持っている成分と発酵されたことによって出てくるスモーキーフレーバーなのです。そして、数ある国別カカオの中でもトリニダード・トバゴとキューバが特に面白い。佐藤料理長、仲村シェフもカカオ豆からの製造見学をし、今回の難題のテーマに手ごたえを感じた様子。イベントではこの2種類を組み入れ、スモーキーフレーバーを表現することとなりました。


「アルチザン パレ ド オール」三枝シェフによるカカオ豆の焙煎や粉砕を見学。

カカオ豆を選別する様子を真剣に見守る「ハイアット リージェンシー 東京」チーム。

コンチングマシーンから出来立てのチョコレートの味はまた格別。



それではいつものようにイベント当日の様子をご紹介しましょう。


はじめに、パナデリアが、今回のテーマの説明をしました。普段、キャラメルや薫香など煙立つものをスモーキーフレーバーと言っていますが、今回取り上げたスモーキーフレーバーとは、発酵の時に生まれるものや、熟成したことによって生まれる香りのことで、素材がもともと持っている香りの成分のこと、着香する香りとはぜんぜん違うものだということ。この段階では、まだまだ皆さんの顔には、「?」マークが見えていたようですが(笑)。

その謎を解くべく、続いて「燻してつけた」香りではなく、素材がもともと持つ「フェノール」の香りについて、村井調香師が具体的に例を挙げレクチャー。バナナの皮、タヒチヴァニラ、クローブ、ボウモアウイスキー、チョコレートといった、香りのサンプルを回しながらすすめていきました。

一口にフェノール類といっても、その種類はさらに細かく分類されます。例えばヴァニラやクローブに含まれるバニリンもその一種。また、クローブの主成分オイゲノールも、スコッチウイスキーに感じるスモークやタール香のグアヤコールとクレゾール、湿布薬やアメリカのガムを思わせるサリチル酸メチルなんていう成分もフェノールの一種なのです。

消毒液や湿布薬、はたまたコールタールなんて、おおよそ食べものには結びつかない匂いがフェノール類には多くて驚きですが、これらフェノール類が多重構造となってポリフェノールになる、と聞けば、なんとなく理解できるような気が・・・! ポリフェノールといえばワイン。りんご、カシス、フランボワーズ、バナナ、栗etc.・・・ワインにも複数の香りが含まれていることを思えば、だんだんとフェノールのこと、食べ物の香り、スイーツの素材などに繋がっていきます。さて、面白くなってきました。

村井さんのレクチャーによると、フラボノイドとフェノール酸に分類されるポリフェノールですが、イメージでは渋く感じるもの、黒っぽいもの、熟した果物が持つものなど、大ざっぱですがそれらからはスモーキーフレーバーを感じることができるようです。


今回もわかりやすいレクチャーをしてくださった調香師の村井千尋さん。

ボウモアウイスキーのスモーキーフレーバーを確認。

サンプルを嗅いで確認。チョコレートでは3種:「アルチザン パレ ド オール」のキューバ、「ベルナション」のヴァニラ、「ル・ショコラ・アラン・デュカス」のペルー。スパイスとしてクローブ、月桂樹の葉、ラプサンスーチョン、タヒチヴァニラ、バナナの皮が用意された。

試香紙にフェノール類の香気成分オイルをつけ、それぞれを嗅いで確認。サリチル酸メチルは湿布やアメリカ産のガム、ウバ紅茶の上質種に。オイゲノールはクローブ、昔の歯医者さんの匂い。チモールは柚子、タイム、うがい薬に感じる香り。



では、実際に佐藤料理長のデザートコースでスモーキーフレーバーを探っていきましょう。

一皿目は‘南国フルーツのコンポートとクレム クルミの香り’。

熟したマンゴーの皮に潜むフェノールとクルミの渋み、アジア系カカオの持つ煙のような香りを一皿に盛り、香りの複合効果を狙ったもの。もちろん香りだけでなく、酸味と甘み、苦味のバランスや食感、温度差なども取り入れた味覚の流れもさすが! 普通に食べ手がスモーキーを感じるのは難しいかもしれませんが、フェノールのことを意識すれば、何かピンとくるものがあったはずです。

一皿目'南国フルーツのコンポートとクレム クルミの香り'でクルミのエスプーマを組み込む仲村シェフ。

そして運ばれた完成のお皿。マンゴーのソースにミルクチョコレートムースのクネルを置き、上にはカカオのビスキュイでアクセント。両脇にクルミのエスプーマ、そしてクルミのスライス。

ここで使われたミルクチョコレートはカカオバリーのパプアジー。東南アジア系のカカオからはスモーキーな香りがする。


二皿目は‘マロンのスープ仕立て’。栗の持つエラグ酸がポリフェノール、そこにタヒチヴァニラのバニリン、栗の風味を引き立てるためにフヌイユ(フェンネル)と洋梨を組み合わせた香りのスープ。鼻にスプーンを近づけると、アニスやヴァニラの甘い香りの脇から、湿布やブルドッグソースのような香りが漂うから不思議。発見したらプッと笑ってしまいました。ワインの香り表現にさまざまな素材の名前が挙げられるのと逆に、香りからアプローチした素材を組み立て、複雑で立体的なひとつのお菓子を作る。ぞくぞくしますね。

二皿目‘マロンのスープ仕立て’。フヌイユで香りつけたマロンのスープにマロングラッセ、洋梨、タヒチヴァニラの泡。

スモーキーを探しながら味わう・・・。みなさん真剣。


続いて三皿目は‘スモークソルトのソルベ カルバドス’。ミルキーな甘さにほんのりやさしい塩気。スモークソルトが、カルバドスの持つ湿布のようなフェノール香と二重奏、余韻の長いひと品に。最後のひと舐めまでため息。いつの間にか、湿布や消毒薬の香りが好きになっていました(笑)。

三皿目‘スモークソルトのソルベ カルバドス’。


さあ、お待ちかね。今回のメイン素材、清里「アルチザン パレ ド オール」のBean to Barのチョコレートを使用したデザート'トリニダード・トバゴ産カカオのショコラとナッツの饗宴'の登場です。

薄いチョコレートの筒に、底からノワゼット、ビスキュイ・サン・ファリーヌ、生クリームを絞り、テーブルに配された後、食べ手の目の前で温かいトリニダード・トバゴ産チョコレートのソースが注がれました。薄い筒が溶け出し、中の素材と混ざりあい、熱により香りがあがってきます。シズル感で気持ちが高揚したところに、あの複雑なスモーキーフレーバーが押し寄せてくるのです。ああいやだ、でもやっぱり好き・・・人間の感度には、単にきれいなものだけでは満足しない部分があるのでは? 一口ごとに、温度差や食感を味わいながら、スパイシー、スモーキーを発見するごとに、もっと色々感じたいと欲がでてきました。これぞ食べる楽しみ!

四皿目 ‘トリニダード・トバゴ産カカオのショコラとナッツの饗宴’の冷たいパーツを準備するカウンター。今やア・ラ・ミニュッツのデセールに泡のサイフォンは欠かせない。

テーブルのお皿に、シェフが熱いチョコレートソースをかけて完成。時間マジック。

周りのチョコレートがみるみる溶け出していく温度差マジック。


最後は‘スコッチウイスキーのショコラ’。それとコースに使用したチョコレート3種の食べ比べです。ウッディ&スモーキーな東南アジア系のパプアジーは、ミルクチョコレートにすることによって、香りに深みが出る使い方がわかりました。メインで使ったトリニダードは、パンチのあるビター感とスモーキー香がインパクトのある男味。酸味と苦味のバランスが楽しめるキューバからは、スパイス、シガーのような香りも。ここにスモーキーフレーバーの強いラフロイグ10年を惜しげなくガナッシュに仕込みボンボンショコラに。

「いいですか。ボンボンは必ず最後に召し上がってくださいね。口の中の香りが支配されてしまいますから!」

パナデリアの主宰が何度も促したボンボン。口に含んだとたんにアイラモルト独特のピート香(ヨードチンキ〜イソジンのような香りでフェノールの一種)がショコラの中から広がります。アルコールの揮発が伸びのある豊かな旨みをいつまでも残してくれました。神様の食べ物(テオブロマカカオ)と生命の水(ウイスキー)が交わったこの小さな一粒は、この会一番の大きなプレゼントだったかもしれません。

今回デザートコースに使用したチョコレート。上の丸い粒状がパプアジー、その左タブレットがトリニダード、下がキューバのタブレットとラフロイグを入れたガナッシュボンボンショコラ。

アイラモルト(ウイスキー)の中でもスモーキーフレーバーの強いラフロイグ。


こうやって意識しながら味わってみると、スモーキーフレーバーがあるからこそ、素材の香りがより引き立つ、深みが増す。という図式が見えてきます。

しかし、日本人の香りに対する嗜好を振り返ってみると、NHKの朝ドラ「マッサン」に見るように、ウイスキーのスモーキーフレーバーは長い間敬遠されてきた香りでした。チョコレートをとっても、カカオ豆が本来持つ発酵による甘酸っぱい香りや煙っぽい香りは好まれず、あえて除去してから製品化されてきました。香りを食べる西洋人と旨みを味わう日本人。両者が交流する中で、お互いの味覚をリスペクトし、‘美味しい’の感覚が近づいてきた昨今、この隠れたスモーキー(フェノール)の香りが今後のスイーツを一層美味しく感動的なものにしてくれる鍵となるのではないでしょうか?

終わってみれば、会場からは「面白い」「スモーキーにこんな面があったなんて」と驚きの声。スイーツでスモーキーフレーバーを巡るミステリーツアーは大成功。佐藤料理長、仲村シェフ、村井さん、お手伝いいただいた「ハイアット リージェンシー 東京」のスタッフの皆さん、そしてチョコレートでご協力いただいた「アルチザン パレ ド オール」の三枝シェフ、どうもありがとうございました。
もちろん、ご参加いただいた皆さんにも感謝です。おかげさまで、とても充実した一日となりました。
次回もぜひ、香りの世界でお会いしましょう。

今回も感動的なデザートを作ってくださった「ハイアット リージェンシー 東京」の佐藤料理長(左)と、仲村シェフ(右)。ラフロイグを手に。



さて、次回四回目のテーマは何にするか? これがまた、頭の痛い、でも楽しい悩みです。次回もお楽しみに!

ハイアット リージェンシー 東京 公式サイト
  http://www.tokyo.regency.hyatt.jp/ja/hotel/home.html

香料デザインラボ
 HPアドレス:http://www.kouryoudl.com/
 ブログアドレス:http://ameblo.jp/chihiro-murai/

ショコラティエ パレ ド オール
  http://www.palet-dor.com/
アルチザン パレ ド オール
  http://artisan-palet-dor.com/




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