「イルサンジェー」 エドワール・イルサンジェー氏



毎年たくさんの女性で溢れかえるサロン・デュ・ショコラ東京。その中で、最も男性率が高いのがイルサンジェーといえるかもしれません。フランス・ジュラ地方に店を構える菓子屋の4代目エドワール・イルサンジェー氏は、はにかんだような、静かで優しい笑顔が魅力。その自然で飾らない姿が、そのままショコラの味わいにも重なります。例えば、スパイスやハーブの香りをつけたプラリネをショコラノワールでコーティングした「メンズ・ショコラボックス」は、昨年発売以来の人気の品。なんと、9粒のボンボン・オ・ショコラのセンターは全てプラリネ!という潔さ。ナッツの旨みが凝縮されたフレッシュなプラリネに、塩やジンジャー、アニスなどの香りを合わせることで、ひと粒ひと粒が全く違った印象になるから不思議です。そしてもうひとつ、イルサンジェーといえば、地元の名産ワインとショコラのマリアージュを愉しむことでも知られています。確かに、ショコとワインの深くて力強い味わいは、こだわり派の男性にぴったり。でも、男性だけのお楽しみにしておくのはもったいない!というわけで、セミナーにはたくさんの女性ファンも集まりました。
(以前のセミナーのようすはこちら→ http://www.panaderia.co.jp/topics/sdctokyo2006/seminar4.html

ブースも男らしくシンプルに

「メンズ・ショコラボックス」今年は、自宅の庭のミントの葉を使った新作「秘密の庭」が仲間入り



「私の家族は元々、アルザス地方の出身でした。それが、1870年頃、ドイツとの戦争を機に、ジュラ地方へ。ここは北にアルザス、南にローヌ、西にブルゴーニュ、そして東はスイスに隣接していて、ワインやチーズの産地として有名なところ。私の曽祖父がこの地でパティスリーを開業し、1900年から店を続けています。ちなみに私は4代目。今ではショコラを専門に作っています」
さりげなく登場したイルサンジェー氏が淡々と語り始めます。淡々といっても、参加者に向ける眼差しはとてもやわらか。包容力があって、温かく迎え入れてくれるような優しさを感じます。
「店があるのはジュラ地方のアルボワという町。たくさんのワインを産出している、ジュラ地方の中心地です。ブドウの豊穣を願うお祭りが毎年行われていて、もう500年も前から続いているものなんですよ。それからこの写真はアルボワの町の全景です。そしてこれは・・・」

絵葉書のように美しいアルボワの町並み

修道僧が行き来する小さな古い石橋。「修道僧の橋」として親しまれているそう



イルサンジェーを語るときに切っても切れないもの、それが地元アルボワの町。何故なら、イルサンジェーのショコラは、アルボワのテロワール(風土・産物・人々etc.)で作られているから。緑豊かな山々に囲まれたブドウ畑や街中に残る中世の遺跡、車が通れないほどの小さな古い石橋などの写真を見ていると、まるで時が止まっているかのよう。幻想的な風景に、思わず溜め息がこぼれます。
「広場の一画にある私の店は、400年前の建物。実は曽祖父が始める以前の、150年前からパティスリーだったところなんです。その当時の器材がいろいろ残っているので、地下を博物館にして展示しているんですよ」
伝統を重んじ、誇らしげに語るイルサンジェー氏ですが、ただ守り続けているだけではありません。2年前には店を改装してイメージを一新。なんと、店のイメージはスタンダールの「赤と黒」!1900年当時のスタイルがモダンに再現されているというから気になります。

歴史を感じさせる広場に建つモダンな店。新旧を融合させるセンスはさすがです



そんな歴史を守りながらも個性を表現する、という姿勢は、ショコラ作りにおいても同じ。今回のセミナーでは、イルサンジェー氏の代になって考案された3種類のボンボン・オ・ショコラが披露されました。ショコラのお供にと添えられたのは、もちろんヴァン・ジョンヌ!ファンにはお馴染みの、ジュラ地方名産の黄ワインです。
「このワインはフランスの5大ワインのひとつと言われているもの。アロマが強いのが特徴で、胡桃やカレーのような香りがあります」
カ、カレー?!と驚いてしまいそうですが、グラスから漂ってくる香りは、まさにカレー!スパイシーで刺激的な香りや樽臭、そして辛さの中に感じるフルーティーな旨みは、ワインというよりも熟成されたブランデーシェリー酒のよう。同じジュラ地方のコンテチーズとの相性がいいですよ、との話にも思わず納得です。でも、こんなにインパクトの強いワインに合わせるショコラってあるのでしょうか?

ヴァン・ジョンヌの独特の色と風味は熟成方法にあり。木樽で熟成させる間に表面に酵母の膜が張るため、酸化も防いで旨みも形成され、色も白から黄色に変化するのだとか



「今日は3種類の試食を用意しました。まずは、サフラン風味のショコラからどうぞ。これはサフラン風味のパートダマンドをショコラノワールでコーティングしたもの。パートダマンドは自家製で、粉砕したアーモンドに砂糖を加えてペースト状にしてから、最後にサフランを練りこんでいます」
サフラン、と聞くとまたまたびっくりしてしまいますが、これがかなりイケル!粗めでザラッとした食感のパートダマンドは、噛むほどにビターアーモンドの濃厚な香りとコクがじんわり。そしてふわりと漂うサフランの妖艶な香り。それらを包み込むショコラノワールが全体をキリッと力強く引き締めます。よくある甘いショコラとは違った料理のような味わいだから、ヴァンジョンヌとの息もぴったり。際立つ個性が互いの味を引き立て合うから不思議です。これは危険な楽しみを知ってしまった!

ワインがサーブされると、会場中にスパイシーな香りが充満。ショコラとのマリアージュはいかに?!


続けていただいた「ソトロン」は、カレー風味。カレーの風味をつけた胡桃入りのパートダマンドをショコラノワールでコーティングしています。しっかりと効かせたカレーの香りや胡桃の香ばしさは、ヴァン・ジョンヌにも負けないインパクト。これについては、 「カレーや胡桃の香りが特徴のワインだから相性がいいんです」
とさらりと話すイルサンジェー氏。それにしても、こんなに違和感なくカレー味を楽しめるなんて。バランスの取れた巧みなスパイス使いに脱帽です。
最後のショコラはグリーンペッパー風味。緑胡椒を使ったミルクチョコレートのガナッシュに、ビターチョコレートをコーティング。キャラメルを思わせるクリーミーなガナッシュからは、徐々に緑胡椒の刺激が膨らんでいきます。余韻はかなりピリリとスパイシー。甘ったるさのないすっきりとした味わいで、ヴァン・ジョンヌと合わせると更においしさが深まります。


チョコレートと牛乳を入れてガナッシュを作る機械がこれ。80%の空気を抜いた真空状態でまわすことが可能


とにかくどのショコラも個性的で刺激的。毎年新作に挑むというイルサンジェー氏ですが、きっと披露できなかったショコラもあるのでは・・・?ということで、参加者からは未完成のものがあったら教えてほしいとの声が上がりました。
「もちろん、たくさんありますよ。中でも、タバコは難しかった。びっくりするかもしれませんが、紙タバコがあるくらいだから使えないわけではないんですよ。それに、タバコはカカオと同じ産地のものだから、相性もいいとは思うのですが」
・・・!?!サフランやカレーならともかく、まさかタバコにまで目をつけていたとは!でも、イルサンジェー氏ならいつかおいしいタバコ風味のショコラを作ってしまうかも・・・。不思議と期待せずにはいられません。

店の一画にある工房。敷地内には家族が住み、ハーブをたくさん植えた庭があって・・・。イルサンジェー氏にとってかけがえのないクリエーションの源


100年以上も続く老舗パティスリーというイメージからは想像もつかないほど、クリエイティブで個性的なショコラの数々。とはいえ、こうした斬新なアイデアを考えることができるのも、イルサンジェー氏の揺るぎない信念があってこそなのです。
「実は、あるテーマを商標登録しました」
イルサンジェー氏は続けます。
「それは、“Chocolat vivant(生きているショコラ)”という言葉。新鮮なものは必ず死にいたります。だから、生きている一番おいしい状態で食べて欲しい、という想いをこの言葉に込めました」

近くの森に生えているシダも素材として使用。根の部分を煮てピューレ状にしたものをガナッシュと合わせます


おいしいショコラ作りのため、イルサンジェー氏は地元の素材にこだわります。例えばアルボワ酪農協同組合の無殺菌生クリームもそのひとつだし、放し飼いの鶏から産まれた卵やアルボワで採れるセイヨウナツユキソウや甘草(カンゾウ)などのハーブや季節のフルーツも、そう。もちろん、そうした最高級のものを活かして最高級のショコラに仕上げる職人のテクニックも必要です。冷凍保存することもなく、保存料や香料も使用しません。そして最後は、私たち食べ手に守ってもらいたいこと。それが、 「鮮度を意識してほしいということです。これは食べもの全てに言えることですね」
イルサンジェーのショコラを食べて一番に感じるのは、大地のにおい。自然がとても身近に感じられ、ショコラは生きものなんだと改めて気づかせてくれました。

「これは私です(笑)」自分の写真が映し出されると、大照れのイルサンジェー氏。瞬時に次の写真へと変えてしまいました。はにかんだ笑顔にファンが倍増?!


それにしても、アルボワで採れたセイヨウナツユキソウや甘草を使ったショコラというのも気になる存在。まだまだ知られざるイルサンジェーの魅力がありそうです。






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