フランス人は大人も子供もみんな甘いものが大好き。パリの街角を歩いていると、ちょっとマカロンを一口、ショコラを一口と歩きながら食べている光景をよく目にする。
そんな中、もっともポピュラーなもののひとつがエクレール(エクレア)である。ショコラフォンダンがたっぷりかかった甘いエクレアを気軽につまみながら、パリの街角を歩く・・・それだけで、本物のパリジェンヌやパリジャンになったような気がするものだ。
さて、このエクレアとは、「電光」という意味で、細長いシュー生地が割れた姿と、上にかかったショコラフォンダンのつやが、雷を想像させることで、こう呼ばれるようになったそうだ。
そしてもうひとつ、中のクリームが飛び出したり、表面のショコラフォンダンが溶けないうちに、稲妻のように一気に食べるということから名づけられたという説もある。
まさに"電光石火"、これがエクレールというわけだ。
正式な名前はエクレール・オ・ショコラ(éclair au chocolat)で、チョコレートのケーキのひとつである。
エクレアの起源については、諸説あるが、19世紀初頭、フランスの菓子職人アントナン・カレームがナポレオン帝政下の外相タレーラン邸に出入りし、パーティの引菓子を依頼された折に、このエクレアを初めて作ったというのが、最も知られている。
その他にも、リヨンの名もなきパティシエが作ったという説もあるようだ。リヨンの町は、ガリアの首都だったとき、ルグトゥヌムと呼ばれ、その名は、火と光の神であるガリアのルグ神に由来するという。そんな場所で、エクレアが生まれたとしたら、それは確かに偶然とはいえないのかもしれない。
さて、日本でのエクレアの歴史というと、明治維新前に、横浜の外国人居留地にあるフランス人の経営する洋菓子店で作られたのが初めてのものだそうだ。
その後「不二家」が商品化し、日本中に広まったということである。
最近は、エクレアも様変わりし、ショコラだけでなく、キャラメル、コーヒー、フランボワーズ、といった、色もきれいで上のフォンダンも中のクリームもそれぞれの特色を出したものが好まれるようになってきた。
パリ在住の日本人パティシエ青木定冶氏が、抹茶を使って作り上げた「エクレール・オ・抹茶」など、日本の素材を使ったエクレアが、逆にパリの人々を驚かせたことも記憶に新しいところだ。
もちろん、エクレアの魅力のひとつには、ほどよく塩味の効いたさっくりとしたシュー皮も忘れてはならないということを付け加えておこう。
※参考資料 「お菓子の歴史」 マグロンヌ・ドゥーサン=サマ 河出書房新社
|