日本のパティスリーで、マドレーヌほど有名なフランス菓子が他にあるだろうか。それほど、どこのお店でも見かけるこの貝殻型の焼き菓子。実はその起源に関しては、さまざまな説があるようだ。だが、誰もが認める起源としては、発祥の地がフランスのロレーヌ地方にあるコメルシーという街だということ。諸説ある中で、一番メジャーな説をご紹介すると、18世紀中ごろロレーヌ地方を治めていた元ポーランド国王、スタニスラス・レクチンスキーがパーティを開いた際、おかかえのパティシエが厨房で口論のすえ、出て行ってしまった。そのとき、ピンチヒッターとして若いメイドが、祖母に習ったというビスキュイのような菓子を作り、お客様に食べさせたところ、その黄金色のお菓子は、宮廷の人々に大絶賛を浴びたという。そのメイドの名前がマドレーヌだった。そして、このロレーヌ公であるスタニスラスは、フランス王ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカの父であったことから、このマドレーヌが娘マリーにも送られ、その人気はパリの街にも伝わっていったのだろう。
さて、このマドレーヌ、正式には専用の小さな型を使って、縦長の帆立貝の形に焼き上げられたもの、どうして帆立貝?・・・と思うところだが、実は帆立貝は聖ヤコブのシンボルといわれるもの。
かなり古い説ではあるが、もともとは、聖ヤコブが祭られているスペインの聖地、サンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼者に配られたから、この形をしていたという。
いくら、諸説あるといっても、華やかな宮廷生活と、巡礼者というのは、あまりにも違いが大きすぎて、マドレーヌの歴史の奥深さを思い知らされる。


ここで少し、日本のマドレーヌの歴史を見てみよう。
日本に初めて伝わったのは、江戸から明治にかけて風月堂の職人が横浜の居留地にあった洋菓子店から菓子を学び、その中の一つとしてそれが伝わったといわれている。当時は型がなく、生地を菊型の和菓子の木型をもとに作成した型に流し、焼いたらしい。
本格的にフランス菓子としてマドレーヌが入ってくるのは、コロンバンの創業者が昭和初期に菓子視察のためパリへ渡り、レシピ、型、製造機械とともに日本へ持ち帰ってからといわれている。 その際の型が細長い帆立型だったため、現在ほとんどのパティスリーではこの型が用いられている。
しかし、昔ながらの伝統をもつ、風月堂などの菓子店は当時の菊型をつかい、カステラ菓子の延長線として今もあの型で焼いてそれをマドレーヌといっている。しかし、ヨーロッパ、フランスではあの型はなく、マドレーヌとしては認められていないのが事実である。


あの小さな体の中にいくつかの説を持ったマドレーヌ、ここ日本では正統派の長い帆立貝型のほか、ぷっくりと太った形や手のひらを広げたような平らな貝型、どこか懐かしい日本ならではの菊型、味の方でも、プレーンなものから、日本らしく抹茶をいれたもの、ピンク色のフランボワーズ味、しっとりとしたチョコレート味など、店によってさまざまなアレンジを加えられたものが並ぶ。
とはいえ、本当は、シンプルな粉の味わい、バターの味わいを活かした素朴なマドレーヌが、いつの時代でも、どこの場所でも、一番の人気なのかもしれない。


フランス・パリの「ラ・パティスリー・デ・レーヴ」のマドレーヌは、かなりのビッグサイズで食べごたえ充分


パリの小さなパティスリー「オー・デリス・デ・ザンジュ」で、型に入れたままディスプレイされていたマドレーヌ


パリ・4区にあるビストロ「ブノワ」では、たっぷり料理とデザートを楽しんだ後、とどめにこんなりっぱなマドレーヌが登場!




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