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取材・文 佐々木 千恵美 |
今年で3年目となるジル・マルシャル氏の来日講習会が9月12日、ドーバー洋酒貿易にて、サンエイト貿易との共同主催で開催されました。
回を重ねるごとに人気は高まり、今回も募集開始後1週間で満席に。可能な限り増席したとのことですが、それでもキャンセル待ちは増える一方だったそうです。 3回とも取材させていただき感じたのは、席を埋めている多くの若いパティシエたちは、ジル氏の一貫した哲学を聞き創作に活かしたり、仕事の仕方を学ぶつもりで来ているのではないかと。 ジル氏自身も、レシピそのものよりも自身の哲学を伝えるためにここに立っているのだと語っていましたから、講師と受講者双方の向かうところは同じ。会場にエキサイティングな空気が流れ、とても刺激のある一日となりました。 |
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そんな哲学の話に通じる近況のインタビューを、講習会の様子の前に紹介しましょう。
「2014年にモンマルトルに自分の店を構えたわけですが、当時は周囲からものすごくびっくりされました。」 何故ならモンマルトルと聞くと、パラスやラ・メゾン・デュ・ショコラにいたジル氏の顧客にとってはあまりいいイメージを持てないエリアだから。 「でも何故今の場所にしたかというと、同じフロアでアトリエとブティックを持ちたかったから、それが可能な場所だったのです。」 パリで修業された方ならご存知かもしれませんが、家賃の高いパリのパティスリーやブーランジェリーの厨房は大概が地下にあり、お店の様子はダイレクトにはわかりません。また、出来立ての提供を一番に考えるジル氏にとって、アトリエとブティックが別の離れた場所にあるなんて考えられないことでした。 「順調な滑り出しでしたが、2015年に起きたテロの後、とても苦しい経験をしました。周辺のお客様は来てくれましたが、日本からのお客さん、外国からのツーリスト客が来なくなりました。」 地元のお客様はもちろん大切ですが、パリのお店にとって外国人観光客の売り上げは想像以上のウエイトを占めているのですね。 「どうにかしなければと、当初は断っていたホテルのケイタリングやコラボレーションをやることにしました。例をあげると'メゾン・ド・ラ・トリュフ'にトリュフ入りマドレーヌを作り卸したり、ブランドのレセプションパーティーにスイーツを製作したりといった仕事です。」 とにかくテロから1年半は大変だったと語るジル氏。オープン当時6人だったスタッフも今は15人に増え、おいしいお菓子を売っていることが広まり、エアラインや有名ブランドからオーダーメイドのレセプションスイーツの仕事が入るようになったそうです。苦境を乗り切っただけでなく、新たな道が開けたパティスリー ジル・マルシャル。しかし多角経営はするつもりはないと言います。 「最近はバター、バニラの高騰で、クロワッサン等一部の品を値上げしなければならなくなりました。でもお客様にはきちんと事情を説明して売ります。そうやって後世に伝え広めていく必要があると思うのです。だから私は車より機械に投資したいですね。」 アトリエとブティックが同じフロアにあるからこそ、伝えたいことがすぐに伝えられる、分かち合える。甘いお菓子の香りと共に、いい空気が流れているお店の光景が浮かびました。 |
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会場は熱心な受講者で満席。 |
さあ、ここからは講習会の様子です。温かく迎えられたジル氏の口からはこんなことが語られました。
「お店を持って4年が経ち、色々変化もありました。30年前から仕事で日本に来る機会があったので、日本の働くスタイルもわかっているつもりです。日本のフランス菓子は、フランスの次に素晴らしいと思います。私も50代。働く世代から、受け継いできた伝統的なレシピを若い世代に渡していく世代になりました。ただしそのままではなく、現代的なタッチを加えて表現するのが私のやり方。そしてホテルのレストランデセールを手掛けてきた経験から、出来立てのフレッシュな美味しさを提供するというのが私の哲学。故郷ロレーヌのマドレーヌもその日その時に焼き、作り置きはしません。今日はリラックスして働き方の問題についても意見の交流をしていきたいと思っています。」 こんな素材をとか、こんなレシピでという話以上に、哲学や働き方を伝えるプロローグに、気持ちが高まらずにはいられません。 |
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当日のレシピ集。 |
今回は5品。クリスマスに向けてのビュッシュ、アントルメ、タルト、デセール、ケークと、各ジャンルでのバラエティを見せてくれました。
一品目は「ビュッシュ フレーズ・オランジュ・シャンティ BÛCHE FRAISE, ORANGE ET CHANTILLY」。 今年のビュッシュ・ド・ノエルは日本のショートケーキからインスピレーションを得たというジル氏。フランスではいちごは夏のイメージだからクリスマスにはあまり使われないのかもしれませんが、真っ白いクリームに赤いいちごの粒がたっぷりのった姿は、日本人にとっては永遠のクリスマスケーキ。それがジル氏の手にかかるとフランスっぽくファンタスティックな装いに。オリジナリティが大事だからと両端のチョコレートや飾りも自家製。かわいいヒトガタは、アルザスやロレーヌのクリスマスにあらわれるマナラがモチーフ。昔子供だった大人も魅了するところも日本のショートケーキと同じですね。 |
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構成は底にフィナンシェ、マルムラード・オランジュ、コンフィ・ド・フリュイ・ルージュ、ムースフレーズをビスキュイジョコンドで囲み、シャンティ、フルーツで仕上げてあります。 中でも伝統的なフィナンシェのレシピを応用したというデモは、参考になることがたくさん。フレーバーをプラスしたいから、マルコナアーモンドパウダー、焦がしバターなどの基本的配合にアプリコットピューレ(クロップス)、オレンジ果皮、グランマルニエを加え、豊かな香りとしっとり感を表現。 「アーモンドプードルをノワゼットやココナツ、ピスターチにしてもいい。うちでは10kg単位で仕込んで1週間冷凍保存し、使う日に焼き上げます。」 伝統菓子の応用と焼きたてを提供するヒントを語ってくれました。 |
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ムースフレーズを仕込む生クリームは立てすぎに注意。ヨーグルト状態で混ぜる。こうして出来たムースの口どけは驚くほどなめらか。 |
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試食でいただいた1/2スライス。 |
二品目は「フィーヌ シャンパーニュ FINE CHAMPAGNE」。 名前にシャンパーニュとついているけれど、フィーヌ シャンパーニュとは、あの泡のシャンパーニュのことではなく、フランス南西部で醸造蒸留されるコニャックの一種。ヴァローナのショコラ、カライブ66%のムースに、レミーマルタンコニャック50°(フィーヌ シャンパーニュ)で香り豊かに仕込んだクレーム・ムースリーヌ・ド・ブレスト・オ・コニャックを包み、ノワゼットを使ったビスキュイやキャラメリゼで食感や風味のタッチを加えた一品。 |
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「フィーヌ シャンパーニュ FINE CHAMPAGNE」のプティガトーとアントルメ 艶やかなグラサージュには金箔とノワゼットキャラメリゼをアクセントに。 |
「ドーム型がショーケースに並ぶと華やかになっていい。」とジル氏。今となっては少し懐かしくも思える形ですがそれもそのはず。ブリストル時代に作っていたケーキだそう。ただし、以前はプラリネではなく、バニラを使って仕込んでいたのを、このところ問題になっているバニラの高騰でレシピを変えたのだとか。マダガスカル産バニラは8年前の約9〜10倍に値上がりし、サフランの次に高価なスパイスとなってしまったバニラ。全てのケーキに今まで通りバニラを使い続けるのは現実的ではなく、使用をやめるか、安い産地のバニラに替えるか、決断を余儀なくされました。 「ミルフィーユには今まで通り使い、値段を上げました。メディアに理由を発信してもらい、お客様に納得していただきました。」 材料費の高騰は直接消費者には見えづらいもの。でも質を落せば見抜かれてしまいます。バニラの問題がプラリネを使う新たなレシピを誕生させた。懐かしくもあり驚きもありの美味しいドームです。 |
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1/4カットを試食。 |
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前日までにパーツを用意しておき、当日ムースを流して組み立てるとしっとり仕上がる。 |
三品目は「タルト クール サクレ TARTE COEUR SACRÉ」 お店のあるモンマルトルのシンボル、サクレクール寺院の名前が入った秋向けのタルト。焼きっぱなしのタルトはそれだけでフランスの味だけれど、パリのパティスリーならではのタッチが加わるとこうなるのか! 赤ワインとスパイスで煮たドライフルーツ入り焼き込みタルトの上には、塩バターキャラメルとミルクチョコレートムースのドームがのった、ハイブリッドなケーキ。 フランス人が大好きなキャラメル味。だからお店では子供にも大人気なタルトだそうです。 |
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「タルト クール サクレ TARTE COEUR SACRÉ」 周囲をブレスレットのようにパールクラッカンでデコレーション。こういう作業は日本人向き!? |
ジル氏は表面を覆うグラサージュも自家製にこだわります。じゃがいもでんぷんを使い仕込んだキャラメル風味のグラサージュは10日から2週間冷蔵庫で保存が可能。少量使う時はラップしてレンジで22〜23℃で使います。 |
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タルトの焼き込みフィリングとなるポワレ・フィグ・エ・プリュノー(メートルプルニーユ社のセミドライいちじくとセミドライプルーンの赤ワイン煮)を仕込む鍋。 |
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試食の1/2カット面。ヴァローナのジヴァララクテ40%を使ったムース・ショコラ・レはアングレーズ仕込み。キャラメルとの相性は抜群。タルトとムースの間に挟まれたクレームパティシエールとショコラ・レの薄いディスクは接着と防水の役目も担っている。 |
四品目は「デセール パルフェグラッセ オ マロン、ソルベ オランジュ カルダモン PARFAIT GLACÉ AU MARRON, SORBET ORANGE CARDAMOME」。 毎年恒例となった栗を使ったスイーツ。今年はカルダモン風味のソルベ・オランジェをワンポイントにしたパルフェグラッセ主体の栗デセールでした。栗の香りと甘さ、柑橘の爽やかな酸味、カルダモンの爽快感をホロホロ食感のサブレ・クラッカンにのせた出来立てを楽しみます。香り高いディロンのトレヴューラムを加えたアングレーズ・マロンを添え、好みでそのままか、かけるか、交互にすくっていただくか、一口ごとに変化を感じられる一皿に、栗デセールの新たな可能性を感じました。 |
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「デセール パルフェグラッセ オ マロン、ソルベ オランジュ カルダモン PARFAIT GLACÉ AU MARRON, SORBET ORANGE CARDAMOME」 低温で乾燥焼きしたプレス・ド・オレンジとマロンロワイヤルのマロンデコールを飾って。 |
ここではマルコナアーモンドパウダーを入れサブレ・クラッカンを作りましたが、お店では他にシトロン、ピスターシュといった味のバリエーションも揃え、袋詰めにして売っているそうです。お菓子のパーツがそのまま商品にできるのは強みですし、お客さまに内容を説明するきっかけにもなりますね。 |
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栗の風味が濃厚なマロンロワイヤルのパートドマロンとクレムドマロンを使い、ディロンのトレヴューラムで風味付けしたヴェルミセル・マロンは日本の小田巻で絞る。 |
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ソルベ オランジュ カルダモンをのせ組み立てる。 |
最後五品目は「ケーク エキゾチック CAKE EXOTIQUE」。 お店では大と小、バニラ、ピスターシュ、マルブル、フリュイコンフィ、ショコラ、クリスマスシーズンにはパンデピスとこのエキゾチックの7種類を出しているというジル・マルシャルのケーク。最近よく見る細身タイプではなく、昔ながらの幅広くて背の高いパウンド型で焼く、生地の美味しさが存分堪能できる焼き菓子です。 |
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「ケーク エキゾチック CAKE EXOTIQUE」 バニラ風味のバタークリームと金箔、バニラのさやでケークに華やかさを添えて。 |
ケーク生地の作り方にはいろいろな方法がありますが、ジル氏が目指すのはぷっくり中心が膨らんでしっとりした食感。焼いた後に沈みを避けるためモンテせずベーキングパウダーを使い、風味のバターに加え、ひまわり油をブレンドしてしっとり感を出します。 テーマ食材であるバナナは必ず完熟したものを用意し、パイナップルはコンフィにし、パッションフルーツピューレとココナツで南国のフレーバーを表現。ディロンのラムホワイトとパッションピュレ等をブレンドしたグラサージュ・クリスタルで焼き上がりの香りを閉じ込めたら、仕上げにクレーム・オ・ブール・ヴァニーユをトップに絞り、オリジナルのタッチを添えます。 |
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ケークは材料をどんどん混ぜていく。 |
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焼き上がりにグラサージュ・クリスタルを塗って再びオーブンへ数十秒。表面にまくができたらOK。 |
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試食でいただいた1/2スライス。真ん中の黄色は生のパイナップルで作ったコンフィ。 |
デモの後には、たくさんの質問の手があがりました。中にはこれだけオリジナルを作っていると(ビュッシュのサイドや飾りショコラ等)人件費が高くつくのではという問いも。それに対しジル氏は「人件費は妻が担当しているからわからない」と答えましたが、お菓子の原価率は決して低くはないそうです。
「だから、例えばバニラの瓶にはkgあたりいくらと書いておき、スタッフには無駄を出してはいけないと、指示しています。」 |
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ビュッシュのモンタージュ。時間のある時期に、こういったデコールは作っておく。 |
この後、冒頭で書いた2015年のテロとその後に触れたジル氏。でも情熱があれば苦難は乗り越えていけると、会場のパティシエたちに訴えかけました。思えば3年前の講習会に来日したときは苦しかったのかと、そしてやっとその話ができるようになったジル氏の表情はやわらかく、とても印象的でした。
来年も、お菓子作りのことはもちろん、働き方のヒントを分かち合えたら幸いです。素晴らしい一日をありがとうございました。 |
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デモンストレーションの作品を前にして記念撮影。ジルさん、スタッフのみなさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。 |
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