2007年6月に“湘南小麦プロジェクト”を発足して以来、県の農業技術センター、そして農家の方々と共に、神奈川県産小麦の生育に尽力してきた「ブノワトン」高橋幸夫シェフ。プロジェクトの発足以前にも、北海道や岩手県から小麦を個人で買い付け、自家製粉の石臼挽き粉でパンを焼くなど早くから国産小麦に目を向けていました。それには、様々な苦労と、涙なしでは語れない紆余曲折が・・・。
高橋シェフの国産小麦への取り組みから県産小麦に至るまでの講演にあたり、まず初めに神奈川県農業技術センターの山田良雄さんからお話を伺いました。



神奈川県農業技術センター普及指導部 山田良雄さん


「神奈川県は、かつて小麦栽培や種の生産が非常に盛んでした。ところが今では買取価格の厳しさゆえ小麦栽培を離れる農家が多く、90年には250aあった小麦畑も、2005年には30haと減少の一途を辿っていました。現在では神奈川県全体でもトータルで100tの供給量。これは1軒のパン屋分程度にしかなりません。物価高騰、エネルギー難の今だからこそ、この取り組みを是非進めていきたいと思っています」



今年6月、平塚で収穫された「ニシノカオリ」


普及の為には、まずそのデメリット・メリットを含め、小麦の特性を理解してもらうことが大切。現在、神奈川県で栽培を進めている「ニシノカオリ」はいったどのような小麦なのでしょうか?

・県内の広い地域で栽培が可能
・タンパク質含有量が比較的高い“準強力粉”
・パン・うどん・中華麺等幅広い加工特性がある(ふくらみにくいが、香りが強い) など


そもそも小麦には、畑で栽培すると土を清浄してくれるという利点があり、冬場に麦を作ることで、夏に良質の野菜が収穫できます。一方、小麦は夏を越すと虫が発生してしまうので、低温庫での管理が必要。コストがかかる為、個人経営レベルの少量生産では価格に直接響いてしまいます。農業経営上、利益を出すのが難しい・・・という根深い現実問題もあり、国や行政の協力も今後は視野にいれていかなくてはなりません。

「小麦の流通には、生産者と買い手が毎年9月に行う『幡種(はんしゅ)前契約』が原則。つまりは、種まきよりも前に、買うことを前提に作る量を決めてしまうというもの。ちょっとギャンブル的ですが・・・是非、ご興味のある方は神奈川県産小麦に賭けてみてください!」

まだまだ課題がたくさんあるものの、将来性を秘めた神奈川県産小麦。小麦への理解も深めたところで、“湘南小麦プロジェクト”の生みの親である「ブノワトン」高橋幸夫シェフから、ご本人しか知らない、プロジェクトの立ち上げから現在に至るまでの紆余曲折を講演していただきました。“聞くも涙、語るも涙”の開発秘話とは!?(実際は、軽快なトークに会場は抱腹絶倒でしたが・・・)





高橋シェフが、国産小麦に注目しはじめたのは10年前。ブノワトンで使用する小麦を買い付けに、当初は岩手や北海道に直接足を運んで取引していました。一個人の為に、袋詰めをしてもらうとなると、奨励金や人件費、輸送コストがかかってしまい、決して安い値段では手に入れることはできません。「小麦を地元で栽培することはできないだろうか?」と、満を持して設立したのが“湘南小麦プロジェクト”。この「究極の地産地消」を実現するため、高橋シェフは立ち上がりました。

「目下の課題は、“原麦の貯蔵”でした。虫がわかないようにさせる為に様々なテストを行いました。いやぁ・・・泣きましたね、本当に。コクゾウ虫の観察なんてしてるもんだから、彼女からはフラれるし(笑)。大切な小麦をばら撒いてしまったり、大量の虫が発生して貯蔵していた麦が全部ダメになってしまったり。結局トータルで3トンくらいは捨てました」

と、いった傍から、原麦をザラザラ・・・!慌てて、こぼした原麦を集める高橋シェフ。びっくりした志賀シェフが駆けつけると、「・・・まあこんな具合でよくやるんです(笑)。志賀さんに手伝ってもらうなんて冷や汗かいちゃいました」と、会場は大爆笑に。





自家製粉をしたいというパン屋さんの為にも、なんとかして神奈川県産小麦を原麦で流通させたい。そうして、導き出した結論が『精製麦』。これは、研磨してフスマや泥、汚れ、虫の卵などを取り除いた小麦をパッケージングした状態にすること。これならば、害虫発生のリスクから回避でき、良い状態で流通することができる!そう確信した高橋シェフは、ミルパワージャパンを立ち上げました。また、精麦する際に副産物として見逃せないのが“フスマ”(小麦の皮の部分)。



ニシノカオリの“原麦”

ニシノカオリの“ふすま”


「フスマはローストして、パンやクッキーに練りこむと、芳ばしさが出てとてもおいしいんです。無農薬なので安心してそのまま使えますし、栄養価も高く食物繊維が豊富な健康食品。活用法が色々あるので、捨ててしまうのはもったいないですよ」

さて、そんな副産物まで作りだせるという自家製粉。みんなに興味が沸いてきたところで、おもむろに取り出したのは・・・





ジャジャーン!自家用石臼挽き機。その名も“粉エース”

「これが本当にすぐれものでして。挽き方も粗挽きから細挽きまで選べて、摩擦熱は50℃くらい。これなら、風味にも製パン性にもまったく影響しません。干しシイタケも挽けるし、便利でしょう?しかも、5万円くらいで買えちゃうんですよ〜・・・って、自分のところの製品じゃないので、宣伝してもしょうがないんですが(笑)」

おお〜っ!と、にわかに盛りあがる会場。・・・なんだか、高橋シェフが実演販売のプロに見えてきました(笑)。



頭の部分に麦を入れて、スイッチを押すだけ。

出てくる部分に小さな石臼がセットされています。

挽き方も、ダイヤルで簡単に調整可能!


さて、実際に知りたいのは、やはり高橋流の“湘南小麦パン”のおいしさの秘密。神奈川県産の小麦をどのように活かしてパン作りをおこなっているのでしょうか?

「神奈川県産小麦は、普通のやり方で作ると上がりが悪く、モソモソとゴムのような食感にもなりかねない。とにかく、伊勢原という土地柄、食べやすくてボリュームのあるパンというのが売れるポイントなんです。いくらストーリーがあっても、売れなければ商売は成り立ちませんからね(笑)。ポイントは、吸水量を多く、そしてギリギリまで長めにミキシングすること。この2点が特徴だと思います。今日、志賀さんからも作り方を教わると思うのですが、自分の作り方とは対照的かもしれませんね」





箱根の「足柄麦神麦師」では『パン道場』(パン教室)が開催されていて、手捏ね・成形・窯入れの工程を体験できます。高橋シェフの手ほどきを受けたい方は、道場の門を叩くしかない!ですね。

「現在、ブノワトンでは神奈川県産小麦の使用率は8割程までアップさせました。結果、売り上げは前年比13%アップ!マスコミの効果が出始めているのでしょうか。非常にありがたいことですが、情に訴えるような報道のせいか、最近は相談事の手紙が増えたりしています(笑)」

さて、今回はブノワトンで作った神奈川県産小麦のパンを、収穫祭の為に持参していただきました。高橋シェフの作る湘南小麦パンは、クラッカーのような軽やかな塩気が心地よいクラストと、もっちりとしたクラム。そして香ばしい穀物臭と、醤油や味噌を思わせるような和テイストの風味が特徴的です。



【ブノワトンの「湘南小麦パン」】


「湘南小麦の収穫バゲット」(湘南小麦60%使用+フランス粉、吸水76〜78%)
ガッチリと厚めのクラストは、醤油煎餅のような香ばしさが。クラムは口溶け良く、軽い口当たりが後をひく。



「パンブリュンヌ」(湘南小麦+粉末フスマロースト20%使用、吸水約90%)
こげ茶色のクラムは、もっちりしっとりとした食感。フスマ特有の濃厚な旨みが広がる印象的な味わい。



「ニシノカオリのカンパーニュ」(湘南小麦90%+フランス粉)
ルヴァン種によりわずかな酸味が心地よい。亜麻を練りこみ、粒々の食感がポイント。瑞々しい艶やかなクラムから吸水の高さがうかがえる。




※「湘南小麦」はミルパワージャパンの神奈川県産小麦の“ナンブ小麦”、“農林61号”、“鴻巣25号”を合わせたもの。





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