絶世の美女、クレオパトラも愛したと言われるバラ。
その魅力は、姿の美しさだけでなく、甘美で華やかな香りにもあります。
悠久の昔から、人々を魅了しつづけてきたその香りを、
お菓子の世界で花開かせたのが、ピエール・エルメ氏の「イスパハン」。
味わうための「バラ」。その魅力を知るべく、パナデリアでは講習会を開催しました。
パナデリアの会報誌でご紹介したこの講習会の様子を、ここであらためてご紹介したいと思います。




昨年の4月。会場となるドーバー洋酒貿易には、バラの甘く芳しい香りが立ち込めました。
お迎えしたのは、あの「ピエール・エルメ パリ」で活躍するクリストフ・ドラピエ氏。
目に美しく、その香りで、気持をも高めてくれる"バラ"。その魅力が集約した「イスパハン」が今回の講習会のテーマです。

講師は、クリストフ・ドラピエ氏。日本の「ピエール・エルメ パリ」に、なくてはならない存在です


ご存知のとおり、「イスパハン」は、ローズ、ライチ、フランボワーズの組合せ。今回は、そのシリーズの中から、〈エモーション・イスパハン〉、〈ケーク・イスパハン〉、〈デセール・イスパハン〉の3品を教えていただくことになりました。
ピエール・エルメ氏を代表する味覚〈イスパハン〉ですが、実はこういう形で講習会を開くのは初めてとのこと。会場を艶やかに彩るバラの効果もあってか、会場はいつも以上に熱気に満ちているようです。

講習会はパナデリア主宰、三宅の挨拶ではじまりました。 「今回は〈イスパハン〉のシリーズを、日本におけるエルメの片腕として活躍されているドラピエさんにご指導いただきます。イスパハンといえばテーマはバラ。エルメ氏が発表した当初は、なかなか受け入れられにくかったようですが、やっと日本でも最近になって、おいしい香りとして受け入れられるようになりました。今回は、そのバラの魅力を存分に味わっていただこうと思います」
そして、今回もうひとつのテーマになっているのが、エディブルローズ(食用バラ)です。
「せっかくの機会ですので、日本で食用バラを育てている生産者のこともご紹介したいと思います。バラもエディブルなものが作られはじめ、人工的なエッセンスの香りではなく、本物の香りが受け入れられるようになってきました。ご紹介する横田園芸のエディブルローズは、様々な品種や色があり、それによって香りにも違いがあります。例えば、色の薄いバラはやさしいフルーツのような香り、黄色は柑橘系・・・といったように。皆さんも、あとでぜひ味わってみてください」

横田園芸から届いたエディブルローズは、花びらをめくるのが惜しまれるほどの美しさ


ここで三宅からドラピエ氏にバトンタッチ。講習会のスタートです。
「今日はよろしくお願いします。わからないところは、何でも質問して下さいね」
と、笑顔で会場の緊張を和らげるドラピエ氏。在日本歴は9年とのことで、日本語も驚くほど流暢です。

さて、まずは〈ケーク・イスパハン〉から。
「材料はぜんぶ常温にしておくこと。バターだけがやわらかくても、卵や牛乳が冷たいと分離しやすくなります」
生地となる〈ビスキュイ・オ・ザマンド〉は、薄力粉の約倍量のバターとアーモンドプードルが入る、とてもリッチな配合。ホイッパーで泡立て、しっかりと生地を作ったら、バラのエッセンス、色粉、そして牛乳を加えます。すると、たちまち生地はあざやかなローズ色に。〈ケーク・イスパハン〉の特徴にもなっているのが、このローズ色。華やかな色味を出すため、"ローズ"と"ストロべリー"の2色の色粉をブレンドしています。
「フランスでは、この生地に"バターオイル"を使います。無水のバターのことで、バターの一部を"バターオイル"に置き換えると、フワフワとした口どけの生地になるんですよ」
とドラピエ氏。残念ながら日本には輸入されていないため、今回はバターで代用。薄力粉と、食感をソフトに仕上げるためのメレンゲを加え、ふんわりと仕上げていきます。

ケーク・イスパハンの生地の上にフランボワーズを並べたところ。この上に、もう一層生地を絞ってから焼き上げる


ピンク色の生地ができあがると、会場では、“きれい”と感嘆の声がそこかしこから聞こえます。〈ケーク・イスパハン〉の型に使うのは、いわゆるパウンド型ではなく、かわいらしいフラワーケーキ型。その3分目くらいまで生地を入れ、上にフランボワーズを並べます。
「日本で使っているのは、冷凍のフランボワーズです。その理由は、完熟のフランボワーズが手に入らないから。日本に輸入されている生のフランボワーズは、まだ青いうちに収穫されたもの。木で完熟したものを摘み取ってすぐに冷凍し、日本に輸入される冷凍フランボワーズの方がずっとおいしいです」
“完熟”と“青いもの”の違いと言われると、確かに納得。トッピングなどには無理ですが、こうして加熱する場合は、むしろ冷凍の方がいいようです。
ドラピエ氏は、たっぷり並べたフランボワーズの上に生地を絞り、さらにフランボワーズを並べ・・・と、計5層(生地3層、フランボワーズ2層)の構成にしていきます。かなり贅沢にフランボワーズを使うなぁ、と思っていたら、1型に30gものフランボワーズを入れているのだとか。ちなみに、このとき、あまり端にフランボワーズを置かないのもポイント。それから、解凍すると水分が出てしまうため、フランボワーズは冷凍のまま使用します。
パレットで表面をきれいにならしたら、160℃で45分。さらに、向きを変え、150℃で15分焼成します。
「ケーク・イスパハンは、焼き上がりは茶色ですが、中はピンク色なので心配しないでくださいね!」とドラピエ氏。焼き目をピンク色にすることは不可能ではありませんが、あくまで味と食感が重要なのだそうです。

焼き目はふつうのケークと同じ色ですが、内側はフランボワーズがのぞく鮮やかなピンク色の生地になっている


続いては、〈エモーション・イスパハン〉。細身のグラスに、ライチのジュレとフランボワーズ(生)、フランボワーズのジュレを重ね、ビスキュイ・ジョコンドとバラのクリームをふんわりと乗せた、ジュレのみずみずしさの中に、イスパハンの魅力を表現した作品です。

「まずはジュレを作ります。ライチはやさしい香りですが、レモンを加えるとぐっとその香りが引き出されます」
ライチのピュレに対して加えるレモン汁は1割。エレガントな香りの一方で、淡くぼんやりとしがちなライチですが、この酸味があることでぐっと印象的な味わいになるようです。

エモーション・イスパハン。ライチのジュレとフランボワーズを入れて固めたあと、丁寧にビスキュイ・ジョコンドを重ねていく


そのうちに、〈エモーション・イスパハン〉に使うビスキュイ・ジョコンドが焼き上がり、おいしそうな香りが会場中に。ビスキュイ・ジョコンドは、パレットナイフで高さ2cmに伸ばして焼き上げる、ごく薄い生地。そのため、カリッと固くなりそうなイメージですが、見た目は意外にもしなやかそうな表情をしています。
そして、この生地にもポイントが。
「この生地は、モワルー(やわらか)な食感に焼き上げるのがポイント。そのため、必ず、高い温度で短く焼成してください」
今回は、210℃のオーブンで6分間焼成。水分が抜けないうちに焼き上げました。さらに、厚いところと、薄いところができやすい生地なので、必要分より多めに作っておくのもポイント。そうすれば、モワルーな部分を選んで使うことができるからです。ちなみに、この生地は冷蔵庫に入れて、2日間位は使えるそうです。
「わかってしまえば簡単なことですが、知らないと難しいもの。ね?何でもそうでしょう?」
とドラピエ氏。確かに、どんなことでも知識がなければ、苦労するものですよね。なんだか含蓄のある言葉です。

焼き上がったビスキュイ・ジョコンドを前に、さっそく、味と食感をチェックするドラピエ氏。"うん、おいしい"というつぶやきに、会場も興味津々です。その気配を察してか、"OK。ちょっと待って"と、多めに作っておいたジョコンド生地を、丁寧に包丁で四角くカットし、人数分の試食を用意してくれました。

マカロン生地の鍵を握る、マカロナージュ。手で力強く合わせると、トロッとしたツヤやかな生地ができあがる


続いては、グラスのトップに飾るマカロン生地を作ります。
「ふつうのマカロンの場合は当日仕込みますが、〈エモーション・イスパハン〉のように飾りに使う場合は、前の日に仕込み、一晩乾燥させてから焼成します」
ここに、穴のあいたプラスティックボードのようなものが登場。そこに、ツヤツヤ、トロトロの生地を流して、パレットナイフで丁寧にならしていきます。そして、ボードをめくると・・・。そこにはピンク色の美しい円形が出来上がっていました。
「これがあれば簡単。厚紙のようなものでも簡単に作れますよ」
とドラピエ氏。ちなみに、お店でも、厚紙などを切り抜いて試作をすることがあるそうです。

通常、マカロンは絞り袋でひとつずつ絞っていくが、プラスティックボード(写真奥)を使えば、薄いマカロン生地もあっという間に完成


朝10時から始まった講習ですが、そろそろ16時になろうというところ。いよいよ、佳境に入ってきました。
最後は、デセール・イスパハンの盛り付け。フランボワーズ入りサブレ・ブルトンにバラのマスカルポーネクリーム、そしてバラのグラスを添えたこのデセールは、お店でも食べられない貴重な一品です。
「本当はここでバラのグラスを作りたかったんですが、会場にあるアイスクリームマシンだとたくさん出来すぎてしまって。皆さんが、明日も、明後日も食べに来てくれるなら大丈夫だけどね」
と茶目っ気たっぷりのドラピエ氏。毎日行きたいのは山々ですが、確かにちょっと難しいかも・・・。ということで、特別にお店で作ってきていただいたものをいただくことに。ところで、冷凍庫で保存しておくと、どうしても出来立てのフワッと軽い食感は失われてしまいます。そこで、ドラピエ氏は一度ミキシングして柔らかくしてから提供。

デセール・イスパハンに添えられたバラのグラスも、バラの花びらでお化粧されます。これも大事なひと手間


「おいしく食べてもらうためには、ひと手間を省かないことが重要。ひとつひとつの工程に意味があり、それが味と食感につながっているんです」
とドラピエ氏は語ります。香り高く、存在感のある"バラ"。その香りをおいしさに高めるための手間や工夫が凝らされた"イスパハン"の魅力も、そこに理由があるのかもしれません。

総勢50名となった今回の講習会。デセールの仕上げも一苦労!


お待ちかねの試食は、豪奢なバラのアレンジメントを愛でながら。
講習会が始まった頃にはまだかたい蕾だったバラも、会場の熱気にあたり、ふわりと花びらを開かせていました。花の芳香に、お菓子の甘い香りが調和し、まさに至福のひと時。

エモーション・イスパハンにケーク・イスパハン、デセール・イスパハン・・・。
見た目も麗しく、心ときめくお菓子に大満足の講習会となりました。

試食にはマカロン・イスパハンも登場。バラの花とフランボワーズと供に美しい一皿に




今回教えていただいたもの


「ケーク・イスパハン」
砂糖をまぶしたバラの花びらと、ピンク色のアーモンドをあしらった、見た目にもかわいらしいケーク。カットすると、鮮やかなピンク色の生地とフランボワーズがあらわれます。想像以上にしっとりふわっとした食感の生地は、バラが心地よく香るもの。素朴になりがちな焼菓子ですが、こんなにエレガントに味わえるのは、さすがです。


「エモーション・イスパハン」
カリッと薄いマカロン生地の下には、バラの香りが華やかなマルカルポーネベースのクリームが。下には、酸味のきいたフランボワーズジュレと、エキゾチックでエレガントなライチジュレが層をなし、バラの香りをいっそう華やかで深みのあるものへと導いているよう。ジュレのみずみずしい食感に、カリッとしたマカロン生地、しっとりとやわらかなビスキュイ・ジョコンドが加わった、食感の広がりも魅力です。


「デセール・イスパハン」
バラやフランボワーズ入りのパーツを、デセール仕立てにすることで〈イスパハン〉を表現した一皿。中でも、固ゆでした卵の黄身を加えて作る、ドライフランボワーズ入りのサブレ・ブルトンの食感と味わいは特筆もの。フルーティな甘酸っぱさとバターのコクに、フルールドセルの塩気がきき、力強くも華やかなおいしさです。サブレの上に、フランボワーズのジュレやバラのクリーム、マカロン生地を重ね、バラのグラスを添えて、いただきました。




横田園芸




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