職人の経歴などでよく耳にする「クープ・ド・モンド」というコンクール。大きく取り上げられることから「きっと権威あるコンクールなんだろう。」と想像はしていても、詳しいことはあまり一般に知られていません。そこで、今回の結果のご報告をする前にクープ・ド・モンドについてご紹介します。
クープ・ド・モンドとは、和訳すると「世界大会」。パティスリーの他にブーランジェリーも有名ですが、共に世界大会の意味で直接の関係はありません。クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー(以下クープ・ド・モンドに省略)は、1989年フランスの有名なパティシエであるガブリエル・パイアソン氏を中心としたM.O.Fメンバーとヴァローナ社によって設立され、フランスのリヨンにて2年に一度開催される世界最大の国際外国産業見本市”SIRHA”のメインイベントの一つとして行われます。競技方法は国の代表選手3名(3部門各1名づつ)による団体戦で、総合得点にて順位が決まります。
数あるコンクールのなかで、クープ・ド・モンドが権威あるコンクールとして評価されるには理由があります。
●コンクール方式が、現実の職場環境に則していること。
他のコンクールは個人参加が主流のなか、クープ・ド・モンドは団体戦。パティシエは通常チームを組んで仕事をしており、通常の職場と同じチームワークが問われる。
●課題が幅広い分野に及ぶこと。
伝統的なフランス菓子の大きな柱は、「パティスリー(飴細工・アントルメショコラ)」「チョコレート(ショコレートのピエス・皿盛りデザート)」「グラス(氷彫刻・アントルメグラッセ)」。クープ・ド・モンドは、この全ての要素を求められるコンクールである。
●パフォーマンス性が求められること。
完成品を持ち込むのではなく、審査員が見守るなかで全て作り上げ、各選手の仕事ぶりも評価対象となること。また観客にとっても高度な技術を目の当たりに出来る貴重な機会であること。
●審査が公平であること。
参加国は、3名の選手の他に1名の審査員を派遣。これにより、より公平な審査が出来る。
●最も重要な評価基準は、味であること。
外見が重視されるコンクールが多いなか、審査で最も重要なものは"味"。「お菓子は美味しいことが一番大切」とクープ・ド・モンドでは評価されます。
*** 2005年 第9回大会について***
2005年1月23・24日に開催されます。ガブリエル・パイヤソン氏によって選ばれた20ヶ国が参加します。初参加国は、ロシアとヨルダン。日本の強敵は・・・、やっぱりフランス・ベルギーあたりでしょうか。
*2005年度大会 参加国*
ベルギー レバノン
カナダ モロッコ
中国 オランダ
コロンビア ポルトガル
フランス ロシア
ドイツ シンガポール
ギリシャ 韓国
イタリア スペイン
日本 イギリス
ヨルダン アメリカ
***日本代表を決める国内予選について***
上位入賞の常連である日本チーム。日本代表に選出されることも大変難しくなっています。
国内予選に関しては、書類審査(作品の写真とレシピ)を通過した選手が決勝に進み、決勝では実技審査が行われます。
過去の日本代表メンバーとその実績をご紹介します。どの方も現在の日本洋菓子界を支える大きな柱となっている方ばかり。このコンクールの重みがおわかり頂けるでしょう。
1989年 加藤 信 帝国ホテル(現: 二葉製菓学校校長)
望月完次朗 帝国ホテル
小林 春夫 ボン・オーハシ(新潟県長岡市)
1991年 杉野 英実 パチシエ・イデミスギノ
[第一位] 安藤 明 ペルティエ(兵庫県神戸市)
林 雅彦 ガトー・ド・ボワ(奈良県奈良市)
1993年 稲村 省三 ホテル西洋銀座(現: パティシエ イナムラショウゾウ)
横田 秀夫 パークハイアット東京( 現:菓子工房オークウッド・5月上旬オープン予定)
大野 龍男 コロンバン(現:二葉製菓学校)
1995年 柳 正司 パティスリー タダシヤナギ
[第二位] 及川 太平 アン・プチ・パケ
後藤 順一 東京プリンスホテル(現:グランドハイアット東京)
1997年 辻口 博啓 モンサンクレール
[第三位] 花口庄太郎 イマージュ(広島県広島市)
及川 太平 アン・プチ・パケ
1999年 堀江 新 和光ルショワ(現:ラ・ヴィ・ドゥース)
[第四位] 山本 光二 ひらまつ(現:パティスリー プラネッツ)
五十嵐 宏 ホテル西洋銀座(現:六本木ヒルズクラブ)
2001年 五十嵐 宏 ホテル西洋銀座(現:六本木ヒルズクラブ)
[第二位] 朝田 晋平 浦和ロイヤルパインズホテル
福田 雅之 プレシア ママンラトーナ
2003年 寺井 則彦 オテル・ド・ミクニ (現:エーグルドゥース)
[第二位] 松島 義典 名古屋マリオットアソシアホテル
野島 宏 パークハイアット東京
(敬称略)
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